取扱い作家・作品名など

作家名カ~コ

小出楢重「中之島風景」

1887-1931、油彩、カンバス/サムホール 840,000円

大阪市生まれ。明治40年東京美術学校入学。大正8年(1919年)「Nの家族」で樗牛賞。10年渡欧。「帽子を冠れる自画像」や多くの裸婦像で独自の濃厚な装飾的画風を奔放に表現した。まだ美校在学中の大正2年作の小品。街灯りが残る朝焼けの中之島の岸辺を11月の空気感を込めて切り取ったもの。小出楢重の会鑑定証付き。

門倉直子「Velvet Voice-1」

1977ー、油彩、カンバス/F3号 85,000円

千葉県生まれ。文化学院芸術専門学校(埼玉県、2008年閉校)を2001年に卒業した。卒業前の2000年と2003年に文化フォーラム104柏市美術展で大賞受賞。大きな目が特徴の少女を描いたポップアートのシリーズで知られる。2010年作。カンバス裏にサインと制作年記。

門倉直子「こどもの身体」

1977ー、油彩、カンバス/P8号 

千葉県生。文化学院芸術専門学校(埼玉県、2008年閉校)を2001年に卒業した。卒業前の2000年と2003年に文化フォーラム104柏市美術展で大賞受賞。2015年の大きな目が特徴のポップアート作品。=売約済み

門倉直子「理由のないロック」

ガッシュ、紙/54.5×39.0㎝ 

制作年は不明だが、主題や描法から20歳代辺りの初期作品か。タッチ・色彩は繊細かつ神経質で、なんとなくエゴン・シーレ風。=売約済み

川端実「形象」

1911ー2001、油彩、カンバス/F10号 240,000円

戦後、フォービズムやキュビズムの影響を受け独自の抽象表現主義的な作風を展開。1958年に渡米し、グッゲンハイム国際展出品などで注目され、画廊での個展も評判を呼び、米国で岡田謙三らとともにいちはやく認められた。主にニューヨークで35年間活動し続けた。人間的な温かみとそこはかとないユーモアも漂う抽象作品。なお、米国発の抽象表現主義は1940~50年代に世界を席巻した。

 

 

木内克「裸婦像」

1892-1977、テラコッタ/高さ31.7×幅25.0×奥行17.2㎝ 木内克刻印                                                    

渡仏し、ブールデルの教えを受ける。古拙期ギリシアにさかのぼって学び影響を受け、そのおおらかな精神が生きたような、自由でき放な動きのある魅力的な小品のテラコッタを数多く残した。=売約済み

 

ジョルジオ・デ・キリコ「海岸の二頭の馬」

1888-1978リトグラフ、紙/40.0×29.8㎝ 89/250部 125,000円  

イタリアに生まれ、第一次世界大戦(1914-18)をはさんだ約10年間に集中的に、関連性のないオブジェを組み合わせるなどの手法により従来にない新たな絵画世界を生み出し、形而上絵画の旗手となった。モランディなどの追随者を生み、ルネ・マグリットやダリなどのシュルレアリスムにも大きな影響を与えた。白と茶の健やかな二頭の馬と古代の建物・円柱の残骸らしきもの、海、澄んだ空の組み合わせ。

木村辰彦「マスカットのある静物」

1916-1973、油彩、カンバス/F4号

白いクロスの上のマスカットと洋梨とレモン。一見さりげなくさわやかに描かれているが、それぞれの配置はセザンヌにならうかのように、極めて入念に考え抜かれている。クロスに映る影も果物たちの存在感を高めている。=売約済み

木村辰彦「桃」

1916-1973、油彩、カンバス/F3号

大正5年((1916年)東京生。安井曽太郎に師事。セザンヌに傾倒し、セザンヌの日本人的な消化を追求した画風と言われた。日常の愛すべき周りの家族や愛犬、静物などを主な題材として佳品を残した。レースの敷物上のガラス製ボールの中の3個の桃を描いたもの。白の利かし方が木村らしくてさわやかな作品。=売約済み

木村辰彦「小菊」

1916-1973、油彩、カンバス/38.5×45.7㎝      

転げそうな薄青色の花瓶、その一方、茶色の本は左下に滑りそう。花の群れも手前、左上、右上とてんでばらばらに三方に。セザンヌ流の絵画的な再構成の試みのようにみえる。机の右の上辺も右下がりで微妙にバランスをとっている。1957年とあり、作者41歳頃の意欲的な実験品。=売約済み

木村辰彦「あざみ」

1916-1973、油彩、カンバス/F4号

安井曽太郎に師事。セザンヌに傾倒し、日本人的なセザンヌの消化を追求した画風と言われた。日常的な愛すべき周りの家族、人々や事物を描き続けた。=売約済み

 

黒田重太郎「湖畔夏景」

1887-1970、油彩、カンバス/F4号  

慶応義塾普通部を中退し、鹿子木孟郎に師事。関西美術院で浅井忠に学ぶ。大正7~8年、10~12年と2回渡仏。13年小出楢重らと信濃橋洋画研究所を設立した。不遇時代に「母子像」のモデルとなった妻雅(大正15年)と息子真之介を相次いで亡くした。故郷琵琶湖岸浜大津のヨットがもやう夏景色を、陽光輝く色彩で描いた昭和29年作。=売約済み

高野三三男「花束を持つ少女」

1900-1979、油彩、カンバス/変形15号  230,000円

1924年(大正13年)渡仏。藤田嗣治や岡鹿之助、海老原喜之助らと交わり、独自の陶器のような質感の絵肌を編み出し、人気を得た。当時のアール・デコの下の華やかでコケティッシュな作風は日本では小市民的快楽主義とも評されたが、パリで自活できる少数の日本人画家の一人となった。1940年に政情緊迫により藤田とともに帰国。モダン・ガールを描いた1931年作。「高野三三男 アール・デコのパリ、モダン東京」展(目黒区美術館)出品作。図録図13所載。=売約済み

 

 

 

小早川清「近代時世粧ノ内三 爪」

1899-1948、木版/46.2×27.0㎝ 115,000円

美人画で知られる鏑木清方に師事。日本画のほか、新版画にも意欲的で1927年から渡辺版画店で創作を始めた。「近代時世粧」シリーズはその代表作で、1930(昭和5年)~31年に制作された。この「爪」は「口紅」「黒髪」「化粧」「瞳」などと並ぶ当時の人気作品。 

小早川清「後ろ姿」

彩色、紙本/37.5×48.8㎝ 21,000円

紅葉をあしらった金地の扇面に、可憐な舞妓の後ろ姿を浮かび上がらせて描いたもの。左端下部に少し汚れあり。額無し。

鬼頭曄「鳳凰鳥」

1925-1994、鉛筆・グワッシュ、紙/26×38㎝    55,000円

東京美術学校日本画科卒。52年から在仏17年。自由美術協会に属した。明るいパステル調だが、線描が狂おしく走りなにか物悲しい。

木下孝則「バレリーナ」

1894-1973、油彩、カンバス/F10号    

大正15年に佐伯祐三、里見勝蔵、前田寛治らと共に1930年協会を創立。バレエ画も得意とした。心地よい淡い色彩でバレエ画の初期のものか。=売約済み

倉田白羊「夏の渓谷橋」

1881-1938、油彩、板/20×23㎝    170,000円

大正11年春陽会創立会員。山本鼎の農民美術運動に参加するため、長野県上田市に入る。信州の身近な緑と土と山の風景をみずみずしい色彩で数多く描いた。

小絲源太郎「修善寺風景」

1887-1978、油彩、カンバス/F4号    550,000円

白馬会駒込研究所で藤島武二に学ぶ。桂川の川底から湧く、弘法大師由来の独鈷(とっこ)の湯などの修善寺の町並みを、独特の色使いで描いている。

古賀春江「花」

1895-1933、油彩、板/F4号        

大正11年、二科会展で二科賞を受賞し、神原泰、中川紀元らと「アクション」を結成。「マヴォ」の村山知義や早世詩人尾形亀之助らと共に当時の前衛絵画をけん引した。「海」「窓外の化粧」などのコラージュ的なシュルレアリスム画が有名。清新さが漂うバラの絵。=売約済み

小菅徳二「風景」

1897-1972、油彩、カンバス/71.5×48㎝    40,000円

1936年、山を描く画家集団として足立源一郎、丸山晩霞、吉田博らと日本山岳画協会を設立した。幻想性が強い植物と山の風景。

作家名サ~ソ

桜井陽司「画室」

1915-2000、油彩、カンバス/F4号    

東京都交通局に就職。戦後、職場美術協会を結成し活躍した。「東京駅」などの代表作を残した。自らの画室を描いたもの。⇐売約済み

佐々木精治郎「裸婦」

1885-1971、パステル、紙/99.7×73.5㎝、額付き 270,000円

岩手県生。1905年(明治38年)渡米し、ロサンゼルス美術学校を経て、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに学ぶ。帰国後、1927年に渡欧し、28年に日本美術大展覧会に、29年にパリ一回展に風景画や裸婦を出品した。33年に日動画廊でパステル画展。

佐藤清三郎「風景」

1911-1945、デッサン(墨、水彩)/12×17.5㎝    100,000円

新潟で地元銀行に勤めながら、路地や川岸、働く女たちの素描などを数多く残した。戦中、応召し33歳で病死。洲之内徹が取り上げた。遠くに家並みの灯が見える蒲原平野の田園風景。

佐分真「スペイントレドアルカンタラ橋」

1898ー1936、油彩、板/F3号   510,000円

昭和3年に渡仏、5年に渡欧し、ドランなどの影響を受ける。帝展特選を重ね美しい深みのあるマチエール、色彩で知られた。代表作は「貧しきキャフェの一隅」。11年に東京のアトリエで自殺。渡欧時にスペインの有名な城(アルカサル)と橋を描いたもの。

沢田哲郎「神話の人々」

1919-1886、油彩、SM        

戦中、盛岡中学の先輩の松本俊介、船越保武と三人展を盛岡で開いた。応召されシベリアで抑留。ニューヨークでたびたび個展。後年、サムホールサイズの作品を日記のように描き続けた。=売約済み

清水登之「風景」

1887-1945、油彩、板/F6号   

明治40年から大正8年まで渡米。9年再渡米、欧州に渡る。戦時中は従軍画家として上海や南方を巡った。最愛の息子が戦死し、落胆のうちに終戦間もなく没した。南イタリアのナポリとヴェスヴィオ火山を俯瞰して描いたもの。⇐売約済み

 

下郷羊雄「河岸風景」

1907-1981、油彩、板/20.5×25㎝    100,000円

昭和12年(1937年)、ナゴヤ・アヴァンギャルド・クラブを結成。シュルレアリスム絵画作品を描き、名古屋のモダニズムを主導した。その後前衛写真に転じた。

白瀧幾之助「花」

1873ー1960、油彩、板/21.3×27.0㎝ 220,000円

白馬会系の有力画家で、山本芳翠、黒田清輝に師事。東京美術学校卒業の年に24歳で白馬会展に出品した「稽古」で脚光を浴びた。1903年(明治36年)米国に渡り、英ロンドン、仏パリを巡り、11年帰国した。夜のケシのような妖しい絵で、浪漫主義が色濃い。東京美術倶楽部鑑定付き。

白根光夫「屋上の風物」

1926-、油彩、カンバス/F12号    35,000円

カンバス裏に1963年作とあり、画家30歳代後半の若い頃の作品。「屋上の風物」という題名から、当時盛んだったデパートの屋上遊園地を描いたものと思われる。

1 2 3 4 5