取扱い作家・作品名など

作家名カ~コ

小早川清「近代時世粧ノ内三 爪」

1899-1948、木版/46.2×27.0㎝ 115,000円

美人画で知られる鏑木清方に師事。日本画のほか、新版画にも意欲的で1927年から渡辺版画店で創作を始めた。「近代時世粧」シリーズはその代表作で、1930(昭和5年)~31年に制作された。この「爪」は「口紅」「黒髪」「化粧」「瞳」などと並ぶ当時の人気作品。 

小早川清「後ろ姿」

彩色、紙本/37.5×48.8㎝ 21,000円

紅葉をあしらった金地の扇面に、可憐な舞妓の後ろ姿を浮かび上がらせて描いたもの。左端下部に少し汚れあり。額無し。

鬼頭曄「鳳凰鳥」

1925-1994、鉛筆・グワッシュ、紙/26×38㎝    55,000円

東京美術学校日本画科卒。52年から在仏17年。自由美術協会に属した。明るいパステル調だが、線描が狂おしく走りなにか物悲しい。

木下孝則「バレリーナ」

1894-1973、油彩、カンバス/F10号    

大正15年に佐伯祐三、里見勝蔵、前田寛治らと共に1930年協会を創立。バレエ画も得意とした。心地よい淡い色彩でバレエ画の初期のものか。=売約済み

木村辰彦「あざみ」

1916-1973、油彩、カンバス/F4号

安井曽太郎に師事。セザンヌに傾倒し、日本人的なセザンヌの消化を追求した画風と言われた。日常的な愛すべき周りの家族、人々や事物を描き続けた。=売約済み

 

木村辰彦「小菊」

1916-1973、油彩、カンバス/38.5×45.7㎝      

転げそうな薄青色の花瓶、その一方、茶色の本は左下に滑りそう。花の群れも手前、左上、右上とてんでばらばらに三方に。セザンヌ流の絵画的な再構成の試みのようにみえる。机の右の上辺も右下がりで微妙にバランスをとっている。1957年とあり、作者41歳頃の意欲的な実験品。=売約済み

倉田白羊「夏の渓谷橋」

1881-1938、油彩、板/20×23㎝    170,000円

大正11年春陽会創立会員。山本鼎の農民美術運動に参加するため、長野県上田市に入る。信州の身近な緑と土と山の風景をみずみずしい色彩で数多く描いた。

小絲源太郎「修善寺風景」

1887-1978、油彩、カンバス/F4号    550,000円

白馬会駒込研究所で藤島武二に学ぶ。桂川の川底から湧く、弘法大師由来の独鈷(とっこ)の湯などの修善寺の町並みを、独特の色使いで描いている。

古賀春江「花」

1895-1933、油彩、板/F4号        

大正11年、二科会展で二科賞を受賞し、神原泰、中川紀元らと「アクション」を結成。「マヴォ」の村山知義や早世詩人尾形亀之助らと共に当時の前衛絵画をけん引した。「海」「窓外の化粧」などのコラージュ的なシュルレアリスム画が有名。清新さが漂うバラの絵。=売約済み

小菅徳二「風景」

1897-1972、油彩、カンバス/71.5×48㎝    40,000円

1936年、山を描く画家集団として足立源一郎、丸山晩霞、吉田博らと日本山岳画協会を設立した。幻想性が強い植物と山の風景。

作家名サ~ソ

桜井陽司「画室」

1915-2000、油彩、カンバス/F4号    

東京都交通局に就職。戦後、職場美術協会を結成し活躍した。「東京駅」などの代表作を残した。自らの画室を描いたもの。⇐売約済み

佐々木精治郎「裸婦」

1885-1971、パステル、紙/99.7×73.5㎝、額付き 270,000円

岩手県生。1905年(明治38年)渡米し、ロサンゼルス美術学校を経て、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに学ぶ。帰国後、1927年に渡欧し、28年に日本美術大展覧会に、29年にパリ一回展に風景画や裸婦を出品した。33年に日動画廊でパステル画展。

佐藤清三郎「風景」

1911-1945、デッサン(墨、水彩)/12×17.5㎝    100,000円

新潟で地元銀行に勤めながら、路地や川岸、働く女たちの素描などを数多く残した。戦中、応召し33歳で病死。洲之内徹が取り上げた。遠くに家並みの灯が見える蒲原平野の田園風景。

佐分真「スペイントレドアルカンタラ橋」

1898ー1936、油彩、板/F3号   510,000円

昭和3年に渡仏、5年に渡欧し、ドランなどの影響を受ける。帝展特選を重ね美しい深みのあるマチエール、色彩で知られた。代表作は「貧しきキャフェの一隅」。11年に東京のアトリエで自殺。渡欧時にスペインの有名な城(アルカサル)と橋を描いたもの。

沢田哲郎「神話の人々」

1919-1886、油彩、SM        

戦中、盛岡中学の先輩の松本俊介、船越保武と三人展を盛岡で開いた。応召されシベリアで抑留。ニューヨークでたびたび個展。後年、サムホールサイズの作品を日記のように描き続けた。=売約済み

清水登之「風景」

1887-1945、油彩、板/F6号   

明治40年から大正8年まで渡米。9年再渡米、欧州に渡る。戦時中は従軍画家として上海や南方を巡った。最愛の息子が戦死し、落胆のうちに終戦間もなく没した。南仏の有名な保養地コート・ダジュールを俯瞰して描いたもの。⇐売約済み

 

下郷羊雄「河岸風景」

1907-1981、油彩、板/20.5×25㎝    100,000円

昭和12年(1937年)、ナゴヤ・アヴァンギャルド・クラブを結成。シュルレアリスム絵画作品を描き、名古屋のモダニズムを主導した。その後前衛写真に転じた。

白瀧幾之助「花」

1873ー1960、油彩、板/21.3×27.0㎝ 220,000円

白馬会系の有力画家で、山本芳翠、黒田清輝に師事。東京美術学校卒業の年に24歳で白馬会展に出品した「稽古」で脚光を浴びた。1903年(明治36年)米国に渡り、英ロンドン、仏パリを巡り、11年帰国した。夜のケシのような妖しい絵で、浪漫主義が色濃い。東京美術倶楽部鑑定付き。

白根光夫「屋上の風物」

1926-、油彩、カンバス/F12号    35,000円

カンバス裏に1963年作とあり、画家30歳代後半の若い頃の作品。「屋上の風物」という題名から、当時盛んだったデパートの屋上遊園地を描いたものと思われる。

清野克己「座る女」

1916-1995、油彩、カンバス/F8号       

山形県上山市出身。近代洋画研究所に入り藤田嗣治、野間仁根に師事。1938年、自由美術第1回展に入選。戦後は村井正誠、山口薫、荒井龍男らのモダンアート協会に属し抽象絵画に転じた。代表作に「出を待つ女」など。矩形の暗い出入口から花飾りの座った女が漂い出るようなシュールな作品。=売約済み  

清宮質文「一隅」

1917-1991、水彩、紙/15.7×23㎝        

美術教師や商業デザイン会社勤務を経て版画家に。版画の詩人と言われた。ガラス絵、水彩も残している。⇐売約済み

 

 

相馬基一「クラマール風景」

1885-1971、油彩、カンバス/P12号    150,000円

大正10年(1921年)から12年まで渡欧。1928年作とあり、渡欧中にパリから近い小都市クラマールに行き、帰国後に完成したものか。塀の前をコート姿の女性が来る。

作家名タ~ト

高畠達四郎「海の見える丘」

1895-1976、油彩、板/P3号  120,000円

1921年(大正10年)から28年まで滞仏し、藤田嗣治らと交友した。しみじみとした生活の情感が漂う戦後の「暮色」などで有名だが、これは若い頃の滞欧作。

寺内萬治郎「裸婦」

1890ー1964、パステル、木炭、紙/46.0×33.7㎝ 255,000円

大正14年、帝展で「裸婦」が特選。終始一貫して裸婦、女性像を描き続け、独自の滋味のある裸婦像が高く評価された。女性を左膝を抱えた量感のあるフォルムとしてとらえており、愁いを含んだ顔の表情や赤茶色の背景も印象的。東美鑑定付き。

 

津高和一「熱気」

1911ー1995、油彩、板/14×18㎝ 485,000円

1950年代以降、具象から独自の詩情にあふれた抽象に転じた。西宮市生。16歳で詩を書き始め、戦前は「神戸詩人」に作品を発表。1960年のニューヨーク・グッゲンハイム賞美術展出品など内外で高評価を得た。小品ながら、珍しい抽象初期の1958年作。

椿貞雄「静物(桃)」

1896-1957、油彩、カンバス/21.3×45.0㎝  420,000円

上京し岸田劉生に師事。大正4年に岸田、木村荘八らと草土社を結成。白樺の武者小路実篤、長与善郎らとも交友した。劉生の絶対的な影響下にあった草土社風写実から、その死後は独自の温かみのある作風に転じた。桃の連作シリーズの一枚で、机上の中国風染付磁器と2個の桃を細密に描いたもの。静謐な緊張感が漂う。画面右上に「昭和十三年寫 十六年加筆 椿貞雄」とある。

鶴田新「Snow」

1978-、油彩、カンバス/F30号 31,000円

愛媛県松山市生まれ。住宅case17がAsia Design PRISEで金賞を受賞など、建築家(Arata-Architect Studio )としての活動の傍ら、抽象画の制作にも取り組んでいる。2021年1月23日作。雪降る情景に想を得た。

 

 

富樫寅平「子供」

1906-1951、油彩、カンバス/112.0×86.5㎝ 95,000円

新潟県出身。蒲原平野の画家である佐藤哲三らと「野人会」を結成し展覧会活動を行った。大正11年、一九三〇年協会展に入選。昭和3年上京し二科技塾に学ぶ。12年に「水浴」が独立賞。将来を期待されたが45歳で没した。文献「第5回独立展集」付き。額なし。

 

鳥海青児「東大正門図」

1902-1972、油彩、カンバスを板に貼付/31.0×37.0㎝ 180,000円

大正15年(1926年)24歳の時に上京し、横堀角次郎のあっせんで本郷森川町の東大正門前の下宿太平館に入る。その目の前の正門を描いたもの。横堀の子息の辰義氏の識(書面)があり「鳥海氏の作品と思うが~」とある。鳥海の大正15年作「芦屋風景」が「チューブから絞り出したものをそのままの白の使い方」と言われたが、この作品でも同様な白の扱い方がなされている。「灰っぽい茶と緑に独特な滋味をもった色調の人」(足立源一郎)との当時の評もこの作品に共通している。

 

鳥海青児「シベリア駅路の雪」

1902-1972、油彩、カンバス/19.0×25.5㎝  

1930年(昭和5年)の渡仏時にはシベリア鉄道経由で行き、その途中、雪に覆われた駅路を見て大小の絵を描いた。そのうちの小品。パリでは海老原喜之助、野口弥太郎、藤田嗣治らと交遊した。=売約済み

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