取扱い作家・作品名など

相田直彦「郊外の展望」
1888-1946、グワッシュ、紙/56.3×76.1㎝
大正2年、日本水彩画会創設メンバー。昭和初頭から不透明水彩に力を入れ、都会風景や房総海岸などを数多く描いた。中西利雄と並ぶ優れた水彩画家だが、戦争直後疎開先で病没し、作品も散逸してしまった。女性がテラスから都市郊外を見下ろす。=売約済み

エドゥアール・ヴュイヤール「坐る裸婦」
1868-1940、コンテ・水彩、紙/17.4×10.2㎝ 270,000円
ピエール・ボナール、モーリス・ドニらとともにナビ派を代表する画家の一人。室内情景などの市民生活の身近な題材を平面的かつ装飾的に描き、アンティミスト(親密派)と呼ばれた。巻き毛の温かな雰囲気の裸婦のスケッチ。右下に「E.V.」のサイン。

飯田清毅「裸婦」
1909-1972、油彩、カンバス/P6号 180,000円
東京の神田西神田に生まれる。同志社大学在学中に岡田三郎助らに師事。関西美術院で学ぶ。昭和17年に二科賞。戦後は行動美術協会創立会員。30年から欧州各地に取材して描いた。清潔感、透明感のある作風で知られる。左下にサイン。

朝井閑右衛門「懐中時計と常備薬」
1901-1983、油彩、板/23.8×33.2㎝ 325,000円
大阪生まれ。昭和11年(1936年)に大作「丘の上」で脚光を浴びた。柳瀬正夢からは「君はディレッタント(好事家)だから」と悪口を言われたが、戦後「猫の木のある交番」や草野心平、萩原朔太郎等の詩人シリーズ、電線風景やドン・キホーテなどの奔放で空想的な多くの佳品を残した。愛着ある身近なオブジェを細密に描いたもの。東美鑑定証付き。

青山熊治「ピュトーパリ」
1886-1932、油彩、カンバス/F6号
20代後半の大正3年(1914年)から11年まで渡欧したが、これはその滞欧後期の1920年作。手前の水辺とそれに架かる小橋、舫う小舟、その向こうに赤っぽい屋根の家、樹木、ビルなどの風景で、描きかけのものか。裏に題名、サイン、年記。ピュトーはパリ郊外の都市で、当時はピカソとブラックのアトリエ「洗濯船」に対抗するように、キュビズムを志向したホワン・グリスやフェルナン・レジェ 、アンドレ・ロートなどのピュトー派が集っていた。=売約済み

今西中通「風景」
1908-1947、水彩、紙/24.0×28.7㎝ 48,000円
前景に緑の若木、中景に青の山影、その向こうに遠景の山々と、緑や青の色彩の重なりやリズム感が美しくて楽しい。梅野木雨(隆)蒐作品。

榎本和子「構内響音」
1930-、水彩など、紙/37.5×28.5㎝
戦前から前衛絵画やシュルレアリズム写真で知られていた阿部展也に師事。福島秀子や漆原英子、草間彌生らと共に若手女性画家として、戦後の前衛を牽引した。=売約済み

遠藤泰弘「抽象」
1934-1996、油彩、カンバス/F12号 53,000円
神戸市生。NHK舞台設計を経て画業専念。麻生三郎に師事。具象から抽象に転じた。夏の室内の壁に似合う軽快でさわやかな抽象アート。

大橋了介「セーヌ川の赤い小舟」
1895-1943、油彩、厚紙/26.5×34.8㎝
昭和2年に渡欧し、8年に帰国。戦中の18年に47歳で死去した。青空がのぞく空の下のセーヌ川と、その土手、橋、もやう赤い小舟を素早い筆触で切り取ったもの。=売約済み

大橋了介「広告塔」
1895-1943、油彩、紙ボード/26.5×35.0㎝
昭和に入って1927年に(昭和2年)渡欧。佐伯祐三の影響を強く受け、佐伯、荻須高徳、山口長男とモランに同行するなど交流した。死後の1947年には妻エレナが画集「生涯と作品」を世に出した。=売約済み

岡田謙三「母と子」
1902-1982、油彩、カンバス/F10号 650,000円
大正13年(1924年)から昭和2年まで渡欧。帰国記念展への出品作と推定されている。大胆な色面による画面構成はマチス風。淡色系の色使いの好みは後年渡米後の抽象画にも通じる。「岡田謙三展」(秋田市立千秋美術館・2002年)出品作。

小貫政之助「女性像」
1925-1988、油彩、カンバス/P20号 160,000円
昭和24年から読売アンデパンダン展に出品。独特の女性像で知られた。1950年とあり25歳頃の最初期の作品。戦争から間もない頃の時代感が漂う。