取扱い作家・作品名など

作家名ヤ~ヨ

八星美代「化粧」

生没年不詳、油彩、カンバス/48×36㎝    71,000円

おしろいを塗るパフを手に持ち、化粧する情景を描いた珍しい作品。作者については目下詳細情報なし。

山路商「窓と顔」

1903-1944、油彩、カンバス/サムホール 

中国東北部で少年時代を送り、大連で洋画研究所に通う。広島市に移り20歳の時に「ダダイスト山路商宣言」を発刊。靉光らと交友し広島の前衛芸術を主導した一人。中央の福沢一郎らに続いて16年12月に特高に検挙され、翌年8月に釈放されたが、体調を崩し19年に死去。「T型定規のある静物」「犬とカタツムリ」など。多くの作品が原爆により焼失し、広島県立美術館の20点など残るものは少ない。少女の顔と窓。昭和13年作で第2回郷土物故作家展(広島県美、1972年)出品作同展図録の一部コピー及び元額付き。=売約済み

 

横手貞美「パリ風景」

1899-1931、油彩、カンバス・格子パネルによる裏打ち/仏F20号 

宮崎県生。昭和2年(1927年)に佐伯祐三を追うようにして渡仏。翌年2月に佐伯、渡仏仲間の荻須高徳、山口長男、大橋了介と共にモランに写生旅行。同年8月佐伯が死去。横手は20号のカンバスを担ぎ屋外制作に没頭したが、5年秋に倒れ翌春にサナトリウムで病没した。パリでの活動は3年足らずだった。「パリを立つとき僕はひそかにこの山での死を覚悟して上って来た。だが僕は生きたい。生きてもう少しは仕事がしたいよ」と画友への葉書に書いていた。曇って陰った崖下への階段通路と立ち並ぶレストランなどの建物の風景。日動画廊シール。=売約済み

山下新太郎「パリの小劇場」

1881-1966、油彩、ボード/F2号  

1905年(明治38年)に渡仏。エコール・デ・ボザールに入学しルノワールに傾倒した。10年に帰国。滞欧中には「窓際」「読書」などの甘美な佳作を描いた。渡仏時作で、同様の小劇場のモチーフでサイズの大きな作品も残している。ボード裏に「s.yamas」のサインあり。=売約済み

 

 

山口薫「風景(静物と海)」

1907-1968、油彩、カンバス/25.9×36.5㎝    530,000円

昭和5年から8年まで渡欧。12年村井正誠、長谷川三郎、瑛九らと自由美術家協会を創立。戦後25年モダンアート協会創立会員。画風は抽象と具象とのはざまを揺れ動いたといわれる。

山口薫「赤い屋根のある河岸風景」

1907-1968、油彩、カンバス/F20号 

山口は昭和5年(1930年)に東京美術学校を卒業し、すぐに渡欧した。その頃の1930~1932年作。ビルの屋上の避雷針のようなものも、突堤の先の赤白の灯台のようなものも何やら妖しくて楽しい。船着場の白の洋行服姿の男はたぶん山口自身で、対岸の街は現実の風景に山口の高揚した夢と怖れのイメージを重ね合わせたものかもしれない東美鑑定証付き。=売約済み

山崎省三「ノートルダム・ド・パリ」

1896-1945、油彩、板/F4号    

村山槐多、今関啓司と共に日本美術院研究生の三銃士と称された。昭和4年に渡欧。昭和20年戦病死。「木綿の肌触りのような画風」と評された。1930年の滞仏時に描いたもの。=売約済み

山本正「風景」

1915-1979、油彩、カンバスボード/33×23㎝    130,000円

京華中学校卒。独立展で昭和7年独立賞、23年岡田賞。31~32年渡仏。一時抽象に転じたが、具象に戻った。戦中の18年から21年までジャワに滞在し、現地人を数多く描いた。

吉井淳二「パリの街路」

1904-2004、油彩、ボード/F4号 370,000円    

二科会所属。渡仏しドランらの影響を受け、「帽子を被る女」などの佳作を残した。渡仏時の1931年、27歳頃のもの。寒々しい曇天のパリの街角が素早く切り取られている。

吉田卓「裸婦」

1897-1929、油彩、39×26㎝    

大正15年、二科会で二科賞。フォーブ、キュビズム、新古典主義と目まぐるしく画風を変化させた。渡仏を計画するも未達のまま32歳の若さで倒れた。大正モダン香る優れた水彩画も残した。⇐売約済み

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