取扱い作家・作品名など

佐々木精治郎「裸婦」
1885-1971、パステル、紙/99.7×73.5㎝、額付き 270,000円
岩手県生。1905年(明治38年)渡米し、ロサンゼルス美術学校を経て、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに学ぶ。帰国後、1927年に渡欧し、28年に日本美術大展覧会に、29年にパリ一回展に風景画や裸婦を出品した。33年に日動画廊でパステル画展。

佐藤清三郎「風景」
1911-1945、デッサン(墨、水彩)/12×17.5㎝ 100,000円
新潟で地元銀行に勤めながら、路地や川岸、働く女たちの素描などを数多く残した。戦中、応召し33歳で病死。洲之内徹が取り上げた。遠くに家並みの灯が見える蒲原平野の田園風景。

佐分真「スペイントレドアルカンタラ橋」
1898ー1936、油彩、板/F3号 510,000円
昭和3年に渡仏、5年に渡欧し、ドランなどの影響を受ける。帝展特選を重ね美しい深みのあるマチエール、色彩で知られた。代表作は「貧しきキャフェの一隅」。11年に東京のアトリエで自殺。渡欧時にスペインの有名な城(アルカサル)と橋を描いたもの。

沢田哲郎「神話の人々」
1919-1886、油彩、SM
戦中、盛岡中学の先輩の松本俊介、船越保武と三人展を盛岡で開いた。応召されシベリアで抑留。ニューヨークでたびたび個展。後年、サムホールサイズの作品を日記のように描き続けた。=売約済み

清水登之「風景」
1887-1945、油彩、板/F6号
明治40年から大正8年まで渡米。9年再渡米、欧州に渡る。戦時中は従軍画家として上海や南方を巡った。最愛の息子が戦死し、落胆のうちに終戦間もなく没した。南イタリアのナポリとヴェスヴィオ火山を俯瞰して描いたもの。⇐売約済み

下郷羊雄「河岸風景」
1907-1981、油彩、板/20.5×25㎝ 100,000円
昭和12年(1937年)、ナゴヤ・アヴァンギャルド・クラブを結成。シュルレアリスム絵画作品を描き、名古屋のモダニズムを主導した。その後前衛写真に転じた。

白瀧幾之助「花」
1873ー1960、油彩、板/21.3×27.0㎝ 220,000円
白馬会系の有力画家で、山本芳翠、黒田清輝に師事。東京美術学校卒業の年に24歳で白馬会展に出品した「稽古」で脚光を浴びた。1903年(明治36年)米国に渡り、英ロンドン、仏パリを巡り、11年帰国した。夜のケシのような妖しい絵で、浪漫主義が色濃い。東京美術倶楽部鑑定付き。

白根光夫「屋上の風物」
1926-、油彩、カンバス/F12号 35,000円
カンバス裏に1963年作とあり、画家30歳代後半の若い頃の作品。「屋上の風物」という題名から、当時盛んだったデパートの屋上遊園地を描いたものと思われる。

伝新海竹蔵「女性の顔」
1897-1968、テラコッタ、高さ11.5×幅8.5×奥行7.0㎝ 32,000円
山形市生。上京して「ゆあみ」などで知られる叔父の新海竹太郎の下で修業。文展で「母子」が初入選。院展を中心に「坐女」などの多くの佳品を残した。優雅な女性の顔。上部に壁掛け用金具埋め込み。

鈴木信太郎「人形」
1895-1989、油彩、カンバス/0号 360,000円
明治28年東京生まれ。白馬会溜池洋画研究所に学ぶ。大正15年に二科会展で樗牛賞。戦後、野間仁根らと一陽会を結成。生粋のカラリストで、アンチームな(親密感のある)風景画や花の絵を数多く残した。人形ながら頬は赤みを帯び唇は赤く、生きているような愛すべき小品。

清野克己「座る女」
1916-1995、油彩、カンバス/F8号
山形県上山市出身。近代洋画研究所に入り藤田嗣治、野間仁根に師事。1938年、自由美術第1回展に入選。戦後は村井正誠、山口薫、荒井龍男らのモダンアート協会に属し抽象絵画に転じた。代表作に「出を待つ女」など。矩形の暗い出入口から花飾りの座った女が漂い出るようなシュールな作品。=売約済み

相馬基一「クラマール風景」
1885-1971、油彩、カンバス/P12号 150,000円
大正10年(1921年)から12年まで渡欧。1928年作とあり、渡欧中にパリから近い小都市クラマールに行き、帰国後に完成したものか。塀の前をコート姿の女性が来る。