取扱い作家・作品名など

作家名ハ~ホ

ジュール・パスキン「座る少女と立つ少女」

1885ー1930、油彩、ボード/28.0×21.5㎝  980,000円

繊細な真珠色などの淡い色彩で数多くの娼婦などの女性像を描き残した。優れた素描家でもあり、若い頃には風刺新聞「ジンプリチシムス」に寄稿した。1930年、個展の前日にアトリエで自殺。1921作で比較的初期のもの。

長谷川利行「海」

1891-1940、油彩、厚紙/12.8×17.5㎝

後期には窮民街の簡易宿泊所に寝泊まりし上野などの酒場やカフェ、演芸場の女給、芸人などを素早く描いては飲み代のために売った。伊豆大島を描いたもの。海と空の澄んだブルーと白、島のピンクの線が美しい。⇐売約済み

 

長谷川春子「牧場の家族」

1897-1967、油彩、カンバス/21.4×27.1㎝  

東京の女子名門校、雙葉高等女学校卒。梅原龍三郎に油絵を学んだ。渡仏は1929(昭和4年)~31年で、カンバス裏に1931年作の年記がある。丘の上で憩う母子と父親、向こうに牛。聖母子像にも見える温かな家族愛の一枚。=売約済み

林倭衛「果物図」

1895-1945、油彩、カンバス/F3号  

林倭衛は2回にわたって渡欧しているが、昭和初年(1926年)作とあり、最初の渡欧時の作品と推定される。果物の朱色や緑の色が鮮やかで印象的。=売約済み

 

原精一「裸婦」

1908-1986、油彩、カンバス/SM    240,000円

萬鉄五郎に師事。鳥海青児と親しく、中学の先輩だった鳥海に絵を学んだ。デッサン力には定評があり裸婦を数多く描いた。これは裸婦の中でも褐色や黒の暗色が力強い初期の作品。

福沢一郎「月と子供」

1898ー1992、油彩、カンバス/F15号 360,000円

1924年(大正13年)に渡仏。ジョルジュ・デ・キリコやマックス・エルンストの影響を受け、シュルレアリズムを日本に持ち込み実作に挑んだ。39年に美術文化協会を設立し、戦前の前衛美術をリードした。代表作に「他人の恋」「牛」など。戦後の59年の作品で、三日月、提灯、踊る子供など日本の村祭りの夜を思わせる。青い三日月などの色彩の組み合わせが美しい。

二見利節「朝の化粧」

1911-1976、油彩、カンバス/F8号  72,000円

井上三綱に師事し、1933年(昭和8年)、22歳の若さで春陽会展で初入選した。39年、40年と2年連続、文展で特選。長谷川利行の親友でもあった。代表作に「T子」「横たわる女」など。応召し戦後は国画会で鳥海青児らと親交を持った。56年失火により大半の作品を焼失したが、これはその前の52年作で、比較的初期の作品。

船川未乾「三人の裸婦」

1886-1930、油彩、カンバス/F4号    

京都市宇治の旧宮司の家に生まれる。大正11年咲子夫人とともに渡仏し、キュビスム的な作品を描いていたアンドレ・ロートに師事。ピカソ、ブラック、ビシェール、ブラマンクらと交友し特にブラックの影響を受けた。早世し結局、一回の回顧展も開かれず一冊の画集も出ていない。確認されている作品の数もごく少ない。=売約済み

普門暁「花魁(おいらん)」

1896-1972、油彩、板/F4号    170,000円   

大正9年9月に二科展落選を不満として、木下秀一郎、渋谷修、亡命ロシア人画家パリモフ、ブルリュークらと未来派美術協会を設立。ところが、翌年8月に「花の小曲」を二科展に出品。東京の会員の不平を買い、11年元旦付けで離れた。動性の残像を描くような、いわゆる未来派の技法の作品を先んじて残した。禿(子供)の袖口や背景の描き方にその特徴が見える。板裏に「一九二四年二月作」とある。

古澤岩美「ざくろ」

1912-2000、油彩、カンバス/SM        

戦前の1930年代、池袋モンパルナスの一員として小熊秀雄や寺田政明、麻生三郎らと交流。美術文化協会創立に参加しシュルレアリスム絵画を描いた。戦中は中国戦線で従軍し、敗戦・捕虜の生活を経て帰国。これはシュルレアリスムの小品。1949年作。=売約済み

1