取扱い作家・作品名など

作家名カ~コ

片多徳郎「日比谷初秋」

1889ー1934、油彩、カンバス/F3号 190,000円

大分県生。明治45年東京美術学校卒。文展で特選を重ねるなど異色の新鋭として注目されたが、アルコール依存症により入退院を繰り返し44歳で早世した。これは入院時に日比谷公園へ散歩に行った時の情景を描いたもの。樹木が覆う日の当たる小道に若いカップルが肩を寄せ合っている。道の脇には白いベンチも見える佳品。「片多徳郎・遠山五郎展」(北九州市立美術館)図録に同図版、また同図録掲載の片多の日記に関連記述あり=資料付き。

片多徳郎「静物」

1889ー1934、油彩、カンバス/F3号 135,000円 

萬鉄五郎らと同時代に活躍したが、アルコール依存がたたり昭和9年に44歳の若さで没した。死の2年前の1932年作。鑑定依頼への返書に、子息の草吉氏は「禁酒のため10回近く入退院(青山赤十字病院で)を繰り返しており、病院の部屋をアトリエ代りに静物・人物等を制作しておりました」とし、この絵はその中の一作としている。草吉氏の返書付き。

児島善三郎「フランスの田舎」

1893-1962、油彩、板/F4号 320,000円  

1924年(大正13年)から28年まで5年間にわたり滞仏した。彼の地では「立てるソニヤ」などの初期の代表作を描いているが、これはフランスの田舎ののどかな光景を描いた。手前へ小さく白服の女性が歩いてくる。1925年頃の作品。

 

小出楢重「中之島風景」

1887-1931、油彩、カンバス/サムホール 840,000円

大阪市生まれ。明治40年東京美術学校入学。大正8年(1919年)「Nの家族」で樗牛賞。10年渡欧。「帽子を冠れる自画像」や多くの裸婦像で独自の濃厚な装飾的画風を奔放に表現した。まだ美校在学中の大正2年作の小品。街灯りが残る朝焼けの中之島の岸辺を11月の空気感を込めて切り取ったもの。小出楢重の会鑑定証付き。

古茂田守介「静物」

1918-1960、油彩、カンバス/サムホール 340,000円

愛媛県生。昭和12年(1937年)に上京し猪熊弦一郎ついで脇田和に師事。大蔵省に勤務。15年に新制作派協会展に入選。戦後25年に同協会会員。21~23年頃のバレエの踊り子や少女像など、叙情的な温もりのある人物像、静物などから、厳しい存在感と構成の追求の作風へと転じた。35年に喘息の発作により42歳で没した。取っ手付きの水筒らしきものと芽の出た玉ねぎとの組み合わせ。昭和30年作。旧藝林(梅野隆氏)収蔵作品。

古賀春江「室内の座裸婦」

1895-1933、鉛筆、紙/31.0×25.0㎝ 97,000円

福岡県生。太平洋画会研究所、水彩画会研究所に学び、東郷青児らと交友した。二科展で二科賞を受賞。大正11年(1922年)アクションの結成に参加。初期のパウル・クレー風から構成的な「海」「窓外の化粧」などへと移り、日本の初期シュルレアリズムを代表する画家となった。顔や体の表現に清新な未来派風の動きが感じられるデッサン。

小山敬三「トレド河畔」

1897-1987、油彩、カンバス/F10号 430,000円 

明治30年長野県生。大正9年(1920年)から昭和3年まで渡仏。シャルル・ゲランに学んだ。特に構造物の描写を得意とし、1927年作の「薄暮(アルカンタラの橋)」で脚光を浴びた。これは同じスペイン・トレドの河畔を前年の29歳の時に描いたもの。奥へと続く川沿いの遊歩道及び堤と橋の描写が力強い。樹々や水面や街、空の深い色合いも美しい。1926年作。東美鑑定証付き。

 

koko「時を見つめて ピエロ」

油彩、カンバス/F8号 190,000円

千葉県生。米国カリフォルニア州にて美術を学ぶ。北郷悟東京芸術大学名誉教授に師事。今後を嘱望される新鋭作家の最新作。陽気で踊り出しそうなピエロ。

koko「時を見つめて ピノキオ」

油彩、カンバス/F8号 190,000円

愛らしいピノキオの小品。

 

Koko「あなたのために」

水彩ほか、紙/57.2×42.2㎝ 32,000円

小鳥の入った鳥かごのとびらを開けるピエロに、壁のはしごが届かない半開きの窓などと、道具立てが揃う。将来の本画のための構想画。「セロ弾きのゴーシュ」風の童話的な趣も。

門倉直子「Velvet Voice-1」

1977ー、油彩、カンバス/F3号 85,000円

千葉県生まれ。文化学院芸術専門学校(埼玉県、2008年閉校)を2001年に卒業した。卒業前の2000年と2003年に文化フォーラム104柏市美術展で大賞受賞。大きな目が特徴の少女を描いたポップアートのシリーズで知られる。2010年作。カンバス裏にサインと制作年記。

門倉直子「こどもの身体」

1977ー、油彩、カンバス/P8号 

千葉県生。文化学院芸術専門学校(埼玉県、2008年閉校)を2001年に卒業した。卒業前の2000年と2003年に文化フォーラム104柏市美術展で大賞受賞。2015年の大きな目が特徴のポップアート作品。=売約済み

門倉直子「理由のないロック」

ガッシュ、紙/54.5×39.0㎝ 

制作年は不明だが、主題や描法から20歳代辺りの初期作品か。タッチ・色彩は繊細かつ神経質で、なんとなくエゴン・シーレ風。=売約済み

川端実「形象」

1911ー2001、油彩、カンバス/F10号 240,000円

戦後、フォービズムやキュビズムの影響を受け独自の抽象表現主義的な作風を展開。1958年に渡米し、グッゲンハイム国際展出品などで注目され、画廊での個展も評判を呼び、米国で岡田謙三らとともにいちはやく認められた。主にニューヨークで35年間活動し続けた。人間的な温かみとそこはかとないユーモアも漂う抽象作品。なお、米国発の抽象表現主義は1940~50年代に世界を席巻した。

 

 

木内克「裸婦像」

1892-1977、テラコッタ/高さ31.7×幅25.0×奥行17.2㎝ 木内克刻印                                                    

渡仏し、ブールデルの教えを受ける。古拙期ギリシアにさかのぼって学び影響を受け、そのおおらかな精神が生きたような、自由でき放な動きのある魅力的な小品のテラコッタを数多く残した。=売約済み

 

ジョルジオ・デ・キリコ「海岸の二頭の馬」

1888-1978リトグラフ、紙/40.0×29.8㎝ 89/250部   

イタリアに生まれ、第一次世界大戦(1914-18)をはさんだ約10年間に集中的に、関連性のないオブジェを組み合わせるなどの手法により従来にない新たな絵画世界を生み出し、形而上絵画の旗手となった。モランディなどの追随者を生み、ルネ・マグリットやダリなどのシュルレアリスムにも大きな影響を与えた。白と茶の健やかな二頭の馬と古代の建物・円柱の残骸らしきもの、海、澄んだ空の組み合わせ。=売約済み

木村辰彦「マスカットのある静物」

1916-1973、油彩、カンバス/F4号

白いクロスの上のマスカットと洋梨とレモン。一見さりげなくさわやかに描かれているが、それぞれの配置はセザンヌにならうかのように、極めて入念に考え抜かれている。クロスに映る影も果物たちの存在感を高めている。=売約済み

木村辰彦「桃」

1916-1973、油彩、カンバス/F3号

大正5年((1916年)東京生。安井曽太郎に師事。セザンヌに傾倒し、セザンヌの日本人的な消化を追求した画風と言われた。日常の愛すべき周りの家族や愛犬、静物などを主な題材として佳品を残した。レースの敷物上のガラス製ボールの中の3個の桃を描いたもの。白の利かし方が木村らしくてさわやかな作品。=売約済み

木村辰彦「小菊」

1916-1973、油彩、カンバス/38.5×45.7㎝      

転げそうな薄青色の花瓶、その一方、茶色の本は左下に滑りそう。花の群れも手前、左上、右上とてんでばらばらに三方に。セザンヌ流の絵画的な再構成の試みのようにみえる。机の右の上辺も右下がりで微妙にバランスをとっている。1957年とあり、作者41歳頃の意欲的な実験品。=売約済み

木村辰彦「あざみ」

1916-1973、油彩、カンバス/F4号

安井曽太郎に師事。セザンヌに傾倒し、日本人的なセザンヌの消化を追求した画風と言われた。日常的な愛すべき周りの家族、人々や事物を描き続けた。=売約済み

 

黒田重太郎「湖畔夏景」

1887-1970、油彩、カンバス/F4号  

慶応義塾普通部を中退し、鹿子木孟郎に師事。関西美術院で浅井忠に学ぶ。大正7~8年、10~12年と2回渡仏。13年小出楢重らと信濃橋洋画研究所を設立した。不遇時代に「母子像」のモデルとなった妻雅(大正15年)と息子真之介を相次いで亡くした。故郷琵琶湖岸浜大津のヨットがもやう夏景色を、陽光輝く色彩で描いた昭和29年作。=売約済み

高野三三男「花束を持つ少女」

1900-1979、油彩、カンバス/変形15号  230,000円

1924年(大正13年)渡仏。藤田嗣治や岡鹿之助、海老原喜之助らと交わり、独自の陶器のような質感の絵肌を編み出し、人気を得た。当時のアール・デコの下の華やかでコケティッシュな作風は日本では小市民的快楽主義とも評されたが、パリで自活できる少数の日本人画家の一人となった。1940年に政情緊迫により藤田とともに帰国。モダン・ガールを描いた1931年作。「高野三三男 アール・デコのパリ、モダン東京」展(目黒区美術館)出品作。図録図13所載。=売約済み

 

 

 

小早川清「近代時世粧ノ内三 爪」

1899-1948、木版/46.2×27.0㎝ 

美人画で知られる鏑木清方に師事。日本画のほか、新版画にも意欲的で1927年から渡辺版画店で創作を始めた。「近代時世粧」シリーズはその代表作で、1930(昭和5年)~31年に制作された。この「爪」は「口紅」「黒髪」「化粧」「瞳」などと並ぶ当時の人気作品。=売約済み 

小早川清「後ろ姿」

彩色、紙本/37.5×48.8㎝ 21,000円

紅葉をあしらった金地の扇面に、可憐な舞妓の後ろ姿を浮かび上がらせて描いたもの。左端下部に少し汚れあり。額無し。=売約済み

鬼頭曄「鳳凰鳥」

1925-1994、鉛筆・グワッシュ、紙/26×38㎝    55,000円

東京美術学校日本画科卒。52年から在仏17年。自由美術協会に属した。明るいパステル調だが、線描が狂おしく走りなにか物悲しい。

木下孝則「バレリーナ」

1894-1973、油彩、カンバス/F10号    

大正15年に佐伯祐三、里見勝蔵、前田寛治らと共に1930年協会を創立。バレエ画も得意とした。心地よい淡い色彩でバレエ画の初期のものか。=売約済み

倉田白羊「夏の渓谷橋」

1881-1938、油彩、板/20×23㎝    170,000円

大正11年春陽会創立会員。山本鼎の農民美術運動に参加するため、長野県上田市に入る。信州の身近な緑と土と山の風景をみずみずしい色彩で数多く描いた。

小絲源太郎「修善寺風景」

1887-1978、油彩、カンバス/F4号    550,000円

白馬会駒込研究所で藤島武二に学ぶ。桂川の川底から湧く、弘法大師由来の独鈷(とっこ)の湯などの修善寺の町並みを、独特の色使いで描いている。

古賀春江「花」

1895-1933、油彩、板/F4号        

大正11年、二科会展で二科賞を受賞し、神原泰、中川紀元らと「アクション」を結成。「マヴォ」の村山知義や早世詩人尾形亀之助らと共に当時の前衛絵画をけん引した。「海」「窓外の化粧」などのコラージュ的なシュルレアリスム画が有名。清新さが漂うバラの絵。=売約済み

小菅徳二「風景」

1897-1972、油彩、カンバス/71.5×48㎝    40,000円

1936年、山を描く画家集団として足立源一郎、丸山晩霞、吉田博らと日本山岳画協会を設立した。幻想性が強い植物と山の風景。

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