1896-1937、鉛筆・水彩、紙/26.5×36.8㎝ パネルによる裏打ち 65,000円
東京生。独自のモダンかつ装飾的、抒情的な作風を引っさげて若いうちから将来を嘱望された。昭和6年(1931年)から川端龍子の青龍社に参加したが、12年に40歳で病没した。本画の前の下描き作か。