取扱い作家・作品名など
藤田嗣治「フランスの学校(墓地)」
1886-1968、リトグラフ、紙/18.0×18.0㎝ 110,000円
子供に恵まれなかった藤田は戦後、愛らしい少女像をよく油彩で描き、版画の題材にも子供を多用した。ジャン・コクトーのエッセイに藤田の21点のリトグラフが添えられた挿画本「四十雀」中の藤田作の一点。松本竣介も影響を受けたという濃緑の寒色系が支配する藤田の風景だが、早春なのか街路樹の枝先には若葉が萌え出している。
ジュール・パスキン「三人の女(仮)」
1885ー1930、ペン、紙/14.8×31.8㎝ 98,000円
ブルガリア生まれ。ミュンヘンの「ジンプル」誌での挿絵素描を経て、1905年のクリスマス・イブにパリに到着。モディリアニ、キスリング、フジタ、スーチンらと共にエコール・ド・パリを代表する一人として人気を得た。女たちのポーズを素早くスケッチしたもの。スタンプサイン、「Lucy Krohg」サイン、証明書付き。
ジュール・パスキン「座る少女と立つ少女」
1885ー1930、油彩、ボード/28.0×21.5㎝ 980,000円
繊細な真珠色などの淡い色彩で数多くの娼婦などの女性像を描き残した。優れた素描家でもあり、若い頃には風刺新聞「ジンプリチシムス」に寄稿した。1930年、個展の前日にアトリエで自殺。1921作で比較的初期のもの。
原精一「ドアーボォイ」
1908-1986、油彩、板/サムホール
神奈川県生。川端画学校に通い萬鉄五郎に師事。同じ中学校の先輩の鳥海青児と非常に近しく制作したことがあり、若い頃の一時期には鳥海によく似た画風を示した。この作品はその頃のもの。林芙美子の旧愛蔵品で、洲之内徹が蛎殻町の仕事部屋に飾っていた「仏蘭西人形」(1936年作)と同時代の昭和8年(1933年)作。赤い制服を着たホテルの若いドアボーイ。=売約済み
原精一「裸婦」
1908-1986、油彩、カンバス/SM 240,000円
神奈川県藤沢市生。萬鉄五郎に師事し、中学の先輩だった鳥海青児に絵を学んだ。デッサン力には定評があり裸婦を数多く描いた。これは裸婦の中でも褐色や黒の暗色が力強い初期の作品。
原精一「北上川風景」
1908-1986、油彩、カンバス/F15号 78,000円
朝焼けだろうか、やや桃色に染まる空の下、峻厳とした量感ある山が迫る北上川の岸に身を寄せているような家並みと、鈍い色の川の流れを詩情を込めて描いている。山塊や家々には雪が残る。
長谷川利行「大サーカス」
1891-1940、油彩、板/24.2×33.3㎝(F4号)
京都山科生。大正15年(1926年)上京し、「岸田國士肖像」「大和屋かほる」「新宿風景」などの秀作を残す。放浪の果てに行き倒れ、昭和15年に東京養育院で病没。来日したドイツの「ハーゲンベック大サーカス団」を描いた中の一枚。雪か雨の日なのか、手前左のテントの入り口の塔や人の影がぬかるみに映っているように見える。東美鑑定証付き。=売約済み
長谷川春子「牧場の家族」
1897-1967、油彩、カンバス/21.4×27.1㎝
東京の女子名門校、雙葉高等女学校卒。梅原龍三郎に油絵を学んだ。渡仏は1929(昭和4年)~31年で、カンバス裏に1931年作の年記がある。丘の上で憩う母子と父親、向こうに牛。聖母子像にも見える温かな家族愛の一枚。=売約済み
平野遼「壁の変容(仮)」
水彩、紙/39.4×32.0㎝ 30,000円
コンクリートの壁が有機物化して何か見知らぬものに力ずくで生成され、誘い込まれるような、おののきを感じさせるような作品になっている。
平野遼「磯にて(仮)」
1925-1992、水彩・ペンほか、紙/25.7×21.0㎝ 51,000円
1943年に野砲通信兵となり、除隊後、北九州の小倉市の肖像画塾に学んだ。上京し東京駅や新宿で似顔絵を描くなど5年間、窮乏生活を送る。ルドンやジャコメッティの影響を受ける。初期は幻想画的な作品が評価された。57年北九州の若松市の画廊喫茶「ドガ」で小個展。食事代金の代わりに小品を置いていくなど、ドガの店主とは懇意になり店に多くの作品を残した。これはその中の一点で、ウミウシのようなものが青い目をした魚を襲っているといった風だ。
福沢一郎「月と子供」
1898ー1992、油彩、カンバス/F15号 360,000円
1924年(大正13年)に渡仏。ジョルジュ・デ・キリコやマックス・エルンストの影響を受け、シュルレアリズムを日本に持ち込み実作に挑んだ。39年に美術文化協会を設立し、戦前の前衛美術をリードした。代表作に「他人の恋」「牛」など。戦後の59年の作品で、三日月、提灯、踊る子供など日本の村祭りの夜を思わせる。青い三日月などの色彩の組み合わせが美しい。
二見利節「朝の化粧」
1911-1976、油彩、カンバス/F8号 72,000円
井上三綱に師事し、1933年(昭和8年)、22歳の若さで春陽会展で初入選した。39年、40年と2年連続、文展で特選。長谷川利行の親友でもあった。代表作に「T子」「横たわる女」など。応召し戦後は国画会で鳥海青児らと親交を持った。56年失火により大半の作品を焼失したが、これはその前の52年作で、比較的初期の作品。
船川未乾「三人の裸婦」
1886-1930、油彩、カンバス/F4号
京都市宇治の旧宮司の家に生まれる。大正11年咲子夫人とともに渡仏し、キュビスム的な作品を描いていたアンドレ・ロートに師事。ピカソ、ブラック、ビシェール、ブラマンクらと交友し特にブラックの影響を受けた。早世し結局、一回の回顧展も開かれず一冊の画集も出ていない。確認されている作品の数もごく少ない。=売約済み
普門暁「花魁(おいらん)」
1896-1972、油彩、板/F4号 170,000円
大正9年9月に二科展落選を不満として、木下秀一郎、渋谷修、亡命ロシア人画家パリモフ、ブルリュークらと未来派美術協会を設立。ところが、翌年8月に「花の小曲」を二科展に出品。東京の会員の不平を買い、11年元旦付けで離れた。動性の残像を描くような、いわゆる未来派の技法の作品を先んじて残した。禿(子供)の袖口や背景の描き方にその特徴が見える。板裏に「一九二四年二月作」とある。
古澤岩美「ざくろ」
1912-2000、油彩、カンバス/SM
戦前の1930年代、池袋モンパルナスの一員として小熊秀雄や寺田政明、麻生三郎らと交流。美術文化協会創立に参加しシュルレアリスム絵画を描いた。戦中は中国戦線で従軍し、敗戦・捕虜の生活を経て帰国。これはシュルレアリスムの小品。1949年作。=売約済み
宮崎進「少女」
1922-2018、油彩、カンバス/F2号 73,000円
第二次大戦による4年にわたるシベリヤ抑留を経て帰国。放浪しつつ、少年時代の思い出の見世物芸人や旅で出会った旅芸人たちを郷愁と哀感を込めて描いた。抑留経験を踏まえたシベリヤシリーズも有名。
松下春雄「風景」
1903-1933、油彩、板/F5号 190,000円
名古屋市生。鬼頭鍋三郎らと美術研究所グループ「サンサシオン」を結成。帝展で受賞を重ねたが、昭和8年(1933年)白血病により30歳で急逝した。大正後半から昭和初めにかけて東京の下落合、西落合に住み、目白文化村の辺りの風景や周りの人たちを親密感のある筆致、色彩で描いた。緑濃く花が咲く丘の下には小さく家並みが覗ける。
ウィリアム・ジェームス・ミュラー「室内」
1812-1845、油彩、カンバス/12.7×20.0㎝ 130,000円
19世紀前半に活躍した英国のブリストル派の風景画家。中東やアテネなどにひんぱんに出かけては外国の物珍しい風景をまるで写真で撮ったかのような迫真的な写実力で数多く描き、英国で人気を博した。33歳の若さで没した。早朝の斜光の中、二人の農婦が使役の仔馬の身支度や山羊の乳しぼりに精を出している光景。裏面にTHOS.AGNEW&SONS,LTD(ロンドン)シール。
南政善「白いタイツ」
1908-1976、油彩、カンバス/F25号 65,000円
明治41年石川県生。昭和10年(1935年)東京美術学校卒業。新文展で特選。戦中は従軍画家として戦地へ。戦後、朝井閑右衛門らと新樹会を創立し活躍した。特に人物画を得意とした。この絵は「南政義回顧展」(1989年、石川県立美術館)図録(表紙絵)及び「朝井閑右衛門と仲間たち展」(1997年、平塚市美術館)図録に収載。
松岡正雄「デッサン集」
1894-1978、デッサン(印刷物)20枚、各36.5×51.6㎝ 3,600円
奈良県生。東京美術学校図画師範科入学。大正5年(1916年)に初出品作「村の子供達」で二科賞を受賞し脚光を浴びるも、彩漆画の研究に転じ、絵画としての漆絵を追究。12年には日本漆絵協会を設立し彩漆画の普及・発展に努めた。旧制府立高等学校などで長年、美術を教えて教え子に慕われた。ボリューム感を的確にとらえた温かみのある若き日のデッサン集。状態は非常に良好。
宮本恒平「裸婦」
1900-1965、油彩、カンバス/F100号 175,000円
士族の長男に生まれ家督を相続。経済的に豊かな環境に恵まれ、大正9年(1920年)、東京美術学校西洋画科を卒業し外遊。帰国後、帝展に連続出品。米国や欧州に滞在した。目白文化村の住人となり下落合の風景を好んで描く。アンチームな(親しくくつろいでいるような)独特の作風で知られた。額なし。
宮本恒平「初夏」
1900-1965、油彩、カンバス/F5号 175,000円
1921(大正10年)~23年外遊後、30~36年にも米国、欧州に滞在した。カンバス裏に制作年(1932年)の年記とともに「巴里郊外」の記載があり、郊外の初夏に似合う瀟洒な赤屋根の白い家を題材としたもの。額は画家の上永井正が製作して贈ったものを使っている。
水上民平「写真館のある街並」
1898-1994、油彩、カンバス/F8号
長野県出身。子供の頃、裾花川の河原で中学生の河野通勢が油絵を描いているのを覗き見した。また通勢の家は写真館を営んでいた。中学生になった水上民平はその写真館のショウウインドウに掛けられた通勢とその父の絵を見ながら通学したというエピソードを、洲之内徹が著書「セザンヌの塗り残し」で紹介している。この絵の中央に白壁の写真館があるが、その懐かしい写真館を思い起こして描いたものかもしれない。洲之内の現代画廊では個展も開いた。国画会会員。=売約済み
森川昭「裸婦」
1927-1979、石膏着色/48×14×16㎝ 50,000円
昭和24年、東京芸大を2年で退学し自由美術協会に属して活躍。清新なロマティシズムにあふれた作家と評されたが、52歳で没して惜しまれた。木内岬から影響を受け、画家の古茂田守介、西田勝、小貫政之助らと親しく交友。台座裏に1975年作とある。右腕上腕部に補修跡。右腕肘下部が欠損。
森川昭「裸婦」
1927-1979、木彫レリーフ/15.0×9.5×3.5㎝
戦後の昭和24年、東京芸大を2年で退学し自由美術協会に属して活躍。清新で若々しく浪漫的な作風で知られた。同会の仲間の古茂田守介の自宅及びアトリエが火事になった際、勇躍火中に飛び込み、作品を外に放り出して救ったという逸話の持ち主。ちょっと野性味のある裸婦像。「女5態」というシリーズ作品にこの像のブロンズバージョンがある。平成5年に開催された藝林での「森川昭彫刻展」の図録など資料付き。=売約済み
森芳雄「テラスの女」
1908-1997、油彩、カンバス/F8号
山口薫や荒井龍男と共に自由美術協会会員。東京新宿紀伊国屋の正面に架けられていた「二人」が有名。現代画廊の洲之内徹がかつて常連客で、平成31年3月に閉店した浅草の喫茶店アンヂェラスにあったこの絵の汚れが気になり、ほかの2点も含めて洗いに行ったというエピソードがある。温かみのあるヒューマンな作風。昭和28年頃の作で、「二人」や戦前の「肘をつく女」に連なるもの。