取扱い作家・作品名など

作家名ナ~ノ

西田勝「岬」

1918-1974、油彩、カンバス/F3号    90,000円

昭和14年より新制作展に出展。新作家賞、岡田賞をとり、古茂田守介と並んで新制作協会の星と嘱望された。守介のデスマスクを描いた。海と空の青が美しい。

 

野間仁根「働く姉妹」

1901-1979、油彩、キャンバスボード/F4号    250,000円

昭和3年、二科会展で樗牛賞。昭和30年鈴木信太郎らと共に一陽会を創設。幻想的で童心のある作風を展開した。姉妹が白樺などの林で働くという珍しい主題。

作家名ハ~ホ

ジュール・パスキン「座る少女と立つ少女」

1885ー1930、油彩、ボード/28.0×21.5㎝  980,000円

繊細な真珠色などの淡い色彩で数多くの娼婦などの女性像を描き残した。優れた素描家でもあり、若い頃には風刺新聞「ジンプリチシムス」に寄稿した。1930年、個展の前日にアトリエで自殺。1921作で比較的初期のもの。

長谷川利行「海」

1891-1940、油彩、厚紙/12.8×17.5㎝

後期には窮民街の簡易宿泊所に寝泊まりし上野などの酒場やカフェ、演芸場の女給、芸人などを素早く描いては飲み代のために売った。伊豆大島を描いたもの。海と空の澄んだブルーと白、島のピンクの線が美しい。⇐売約済み

 

長谷川春子「牧場の家族」

1897-1967、油彩、カンバス/21.4×27.1㎝  

東京の女子名門校、雙葉高等女学校卒。梅原龍三郎に油絵を学んだ。渡仏は1929(昭和4年)~31年で、カンバス裏に1931年作の年記がある。丘の上で憩う母子と父親、向こうに牛。聖母子像にも見える温かな家族愛の一枚。=売約済み

林倭衛「果物図」

1895-1945、油彩、カンバス/F3号  

林倭衛は2回にわたって渡欧しているが、昭和初年(1926年)作とあり、最初の渡欧時の作品と推定される。果物の朱色や緑の色が鮮やかで印象的。=売約済み

 

原精一「裸婦」

1908-1986、油彩、カンバス/SM    240,000円

萬鉄五郎に師事。鳥海青児と親しく、中学の先輩だった鳥海に絵を学んだ。デッサン力には定評があり裸婦を数多く描いた。これは裸婦の中でも褐色や黒の暗色が力強い初期の作品。

福沢一郎「月と子供」

1898ー1992、油彩、カンバス/F15号 360,000円

1924年(大正13年)に渡仏。ジョルジュ・デ・キリコやマックス・エルンストの影響を受け、シュルレアリズムを日本に持ち込み実作に挑んだ。39年に美術文化協会を設立し、戦前の前衛美術をリードした。代表作に「他人の恋」「牛」など。戦後の59年の作品で、三日月、提灯、踊る子供など日本の村祭りの夜を思わせる。青い三日月などの色彩の組み合わせが美しい。

二見利節「朝の化粧」

1911-1976、油彩、カンバス/F8号  72,000円

井上三綱に師事し、1933年(昭和8年)、22歳の若さで春陽会展で初入選した。39年、40年と2年連続、文展で特選。長谷川利行の親友でもあった。代表作に「T子」「横たわる女」など。応召し戦後は国画会で鳥海青児らと親交を持った。56年失火により大半の作品を焼失したが、これはその前の52年作で、比較的初期の作品。

船川未乾「三人の裸婦」

1886-1930、油彩、カンバス/F4号    

京都市宇治の旧宮司の家に生まれる。大正11年咲子夫人とともに渡仏し、キュビスム的な作品を描いていたアンドレ・ロートに師事。ピカソ、ブラック、ビシェール、ブラマンクらと交友し特にブラックの影響を受けた。早世し結局、一回の回顧展も開かれず一冊の画集も出ていない。確認されている作品の数もごく少ない。=売約済み

普門暁「花魁(おいらん)」

1896-1972、油彩、板/F4号    170,000円   

大正9年9月に二科展落選を不満として、木下秀一郎、渋谷修、亡命ロシア人画家パリモフ、ブルリュークらと未来派美術協会を設立。ところが、翌年8月に「花の小曲」を二科展に出品。東京の会員の不平を買い、11年元旦付けで離れた。動性の残像を描くような、いわゆる未来派の技法の作品を先んじて残した。禿(子供)の袖口や背景の描き方にその特徴が見える。板裏に「一九二四年二月作」とある。

古澤岩美「ざくろ」

1912-2000、油彩、カンバス/SM        

戦前の1930年代、池袋モンパルナスの一員として小熊秀雄や寺田政明、麻生三郎らと交流。美術文化協会創立に参加しシュルレアリスム絵画を描いた。戦中は中国戦線で従軍し、敗戦・捕虜の生活を経て帰国。これはシュルレアリスムの小品。1949年作。=売約済み

作家名マ~モ

宮崎進「少女」

1922-2018、油彩、カンバス/F2号    73,000円

第二次大戦による4年にわたるシベリヤ抑留を経て帰国。放浪しつつ、少年時代の思い出の見世物芸人や旅で出会った旅芸人たちを郷愁と哀感を込めて描いた。抑留経験を踏まえたシベリヤシリーズも有名。

森川昭「裸婦」

1927-1979、木彫レリーフ/15.0×9.5×3.5㎝  

戦後の昭和24年、東京芸大を2年で退学し自由美術協会に属して活躍。清新で若々しく浪漫的な作風で知られた。同会の仲間の古茂田守介の自宅及びアトリエが火事になった際、勇躍火中に飛び込み、作品を外に放り出して救ったという逸話の持ち主。ちょっと野性味のある裸婦像。「女5態」というシリーズ作品にこの像のブロンズバージョンがある。平成5年に開催された藝林での「森川昭彫刻展」の図録など資料付き。=売約済み

森川昭「裸婦」

1927-1979、石膏着色/48×14×16㎝  78,000円

 昭和24年、東京芸大を2年で退学し自由美術協会に属して活躍。清新なロマティシズムにあふれた作家と評されたが、52歳で没して惜しまれた。。木内岬から影響を受け、画家の古茂田守介、西田勝、小貫政之助らと親しく交友。台座裏に1975年作とある。右腕上腕部に補修跡。右腕肘下部が欠損。

宮本恒平「初夏」

1900-1965、油彩、カンバス/F5号  175,000円

1921(大正10年)~23年外遊後、30~36年にも米国、欧州に滞在した。カンバス裏に制作年(1932年)の年記とともに「巴里郊外」の記載があり、郊外の初夏に似合う瀟洒な赤屋根の白い家を題材としたもの。額は画家の上永井正が製作して贈ったものを使っている。

 

森川昭「湾」

1927-1979、ブロンズ/26×22㎝

自由美術協会に属して活動。清新で若々しく浪漫的な作風で知られた。これは1958年作とあり31歳頃のもの。=売約済み

森芳雄「テラスの女」

1908-1997、油彩、カンバス/F8号    山口薫や荒井龍男と共に自由美術協会会員。東京新宿紀伊国屋の正面に架けられていた「二人」が有名。現代画廊の洲之内徹がかつて常連客で、平成31年3月に閉店した浅草の喫茶店アンヂェラスにあったこの絵の汚れが気になり、ほかの2点も含めて洗いに行ったというエピソードがある。温かみのあるヒューマンな作風。昭和28年頃の作で、「二人」や戦前の「肘をつく女」に連なるもの。

作家名ヤ~ヨ

八星美代「化粧」

生没年不詳、油彩、カンバス/48×36㎝    71,000円

おしろいを塗るパフを手に持ち、化粧する情景を描いた珍しい作品。作者については目下詳細情報なし。

山口薫「風景(静物と海)」

1907-1968、油彩、カンバス/25.9×36.5㎝    530,000円

昭和5年から8年まで渡欧。12年村井正誠、長谷川三郎、瑛九らと自由美術家協会を創立。戦後25年モダンアート協会創立会員。画風は抽象と具象とのはざまを揺れ動いたといわれる。

山崎省三「ノートルダム・ド・パリ」

  1896-1945、油彩、板/F4号    290,000円

村山槐多、今関啓司と共に日本美術院研究生の三銃士と称された。昭和4年に渡欧。昭和20年戦病死。「木綿の肌触りのような画風」と評された。1930年の滞仏時に描いたもの。

山本正「風景」

1915-1979、油彩、カンバスボード/33×23㎝    130,000円

京華中学校卒。独立展で昭和7年独立賞、23年岡田賞。31~32年渡仏。一時抽象に転じたが、具象に戻った。戦中の18年から21年までジャワに滞在にし、現地人を数多く描いた。

吉井淳二「パリの街路」

1904-2004、油彩、ボード/F4号    250,000円

二科会所属。渡仏しドランらの影響を受け、「帽子を被る女」などの佳作を残した。渡仏時の1931年、27歳頃のもの。寒々しい曇天のパリの街角が素早く切り取られている。

吉田卓「裸婦」

1897-1929、油彩、39×26㎝    

大正15年、二科会で二科賞。フォーブ、キュビズム、新古典主義と目まぐるしく画風を変化させた。渡仏を計画するも未達のまま32歳の若さで倒れた。大正モダン香る優れた水彩画も残した。⇐売約済み

作家名ラ~ロ

料治熊太「路」

1899-1982、油彩、カンバス/23×15㎝    

朝鳴の名で創作版画を発表。版画雑誌「白と黒」や「版芸術」を発行し谷中安則や平塚運一を育てた。竹久夢二のセノオ楽譜のコレクターでもあった。珍しい油彩画で夢二の世界を思わせる。=売約済み

作者不詳

作者不詳「籐椅子と裸婦」

油彩、カンバスボード/F3号    47,000円

裸婦が身を預けたクッション様のものの赤と右側のついたて様のものの青の対比が美しい。フォーブ風のタッチで作者も時代も分からないが、達者で雰囲気のある作品となっている。

陶芸・アンティーク

陶芸(近代作家もの/近世もの)

<陶芸作品データ>

①高さ:8.5㎝、口径:14.3㎝、箱付き②高さ:7.8㎝、口径13.5㎝、箱付き③径6.5㎝、高さ3.5㎝④径10㎝、高さ9㎝、火舎の材は黒柿で、翡翠のつまみ。大徳寺管長小田雪窓花押。箱付き⑤径最大15㎝、高さ12.5㎝⑥径5.3㎝、高さ4.3㎝、紙箱付き⑦カップの径8㎝、高さ6㎝、受け皿径13㎝、濱田晋作識箱付き⑧胴径15㎝、高さ18㎝⑨濱田晋作識箱付き⑩胴径胴8.8㎝、高さ13.6㎝⑪胴径10.5㎝、高さ15.5㎝、把手に3箇所補修。箱付き⑫3辺各9.3㎝、高さ12㎝⑬胴径9.5㎝、高さ10.3㎝、江戸初期ごろの伝世品、箱付き⑭口径5.5㎝、高さ10.3㎝、野々村仁清の流れをくむ、箱付き⑮口径11.5㎝、高さ2.5㎝⑯口径5.4㎝、高さ5.6㎝、箱付き⑰口径14.8㎝、高さ6.8㎝、名品紹介の新聞記事、箱付き⑱口径15㎝、高さ6.8㎝⑲口径14.2㎝、高さ5.5㎝、箱付き⑳口径最小13、最大15㎝、箱付き㉑胴径20.4㎝、高さ18.6㎝㉒胴径8.3㎝、高さ18㎝

DSCN9187.JPG①河井寛次郎「鐵茶碗」7万5千円  DSCN9189.JPG②同「三色打薬茶碗」6万5千円

DSCN9279.JPG③同「三色香合」1万9千円 DSCN9285.JPG④同「益子焼香炉」4万6千円

DSCN9288.jpg⑤同「草花文急須」3万3千円 DSCN9295.JPG⑥同「草花文香合」1万8千円  

 

 

 

DSCN9191.JPG⑦濱田庄司「鐵絵紅茶器」11万円 DSCN9174.JPG⑧同「掛合壺」4万2千円

DSCN9172.JPG⑨同「海鼠(なまこ)釉扁壺」6万7千円 DSCN9168.JPG⑩同「鐵釉胴紐徳利」9千円

 

DSCN9166.JPG ⑪バーナード・リーチ「ピッチャー」(把手補修あり)8万円

 

DSCN9193.JPG ⑫島岡達三「三角壺」1万5千円

 

DSCN9171.JPG⑬「上野焼鐵釉斑文火入」(江戸初期)1万6千円 DSCN9290.JPG ⑭「古清水焼色絵粟図長向付」(江戸時代)9万5千円

DSCN9292.JPG⑮「志野織部笹文小皿」(桃山時代)2万4千円 DSCN9298.JPG⑯「唐津酒呑(ぐい飲み)」2万5千円

DSCN9329.JPG⑰「雨漏粉引茶碗(李朝時代)」(新聞記事掲載品)37万円 DSCN9333.JPG⑱「本手瀬戸唐津茶碗(江戸時代)3万5千円

DSCN9341.JPG⑲「志野織部鹿文小鉢」(江戸初~桃山時代)16万円 DSCN9347.JPG⑳「古織部沓茶碗」(江戸時代中期)4万7千円

DSCN9337.JPG㉑「白磁染付草花文広口丸壺」(李朝時代)21万円 DSCN9352.JPG㉒「ベトナム古陶(?)染付草花文鶴首瓶」12万5千円

DSCN9153.JPGDSCN9308.JPG河井寛次郎「花文壷」(敏孝識)高さ26.8×径26.6㎝ 30万円

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                                                                                                            

アンティーク(アールデコ/ヌーボーほか)

<アンティークデータ> 

①高さ8.5㎝×径10.3㎝②高さ7.0㎝×径15.5㎝。エドモント・エトランは1909年にパリに店を構え、優れた工芸家たちを擁して自身のブランド名で販売。名を挙げ、アール・デコを推進したが、ユダヤ人であったために、第二次大戦中にドイツの収容所で死を迎えた③高さ5.0㎝×22.9㎝④シェード径15.2㎝、支柱高さ53㎝⑤シェード径16.0㎝、支柱高さ50㎝⑥高さ56㎝(シェード含む)、台座径21.5㎝

DSCN9195.JPG①ルネ・ラリック「小物入れ」(1931年)=アールデコ 3万8千円

DSCN9184.JPG②エドモント・エトラン「容れ物」=アールデコ 5万9千円 DSCN9300.JPG③同「ボール」3万2千円

 

DSCN9228.JPG④「卓上ランプ」=アメリカ 3万円 DSCN9225.JPG⑤「卓上ランプ」=フランス 3万8千円

DSCN9222.JPG⑥「エンジェルランプ」=フランス 5万8千円

 

 

1 2 3