取扱い作家・作品名など

長谷川春子「牧場の家族」
1897-1967、油彩、カンバス/21.4×27.1㎝
東京の女子名門校、雙葉高等女学校卒。梅原龍三郎に油絵を学んだ。渡仏は1929(昭和4年)~31年で、カンバス裏に1931年作の年記がある。丘の上で憩う母子と父親、向こうに牛。聖母子像にも見える温かな家族愛の一枚。=売約済み

林倭衛「果物図」
1895-1945、油彩、カンバス/F3号
林倭衛は2回にわたって渡欧しているが、昭和初年(1926年)作とあり、最初の渡欧時の作品と推定される。果物の朱色や緑の色が鮮やかで印象的。=売約済み

平野遼「壁の変容(仮)」
水彩、紙/39.4×32.0㎝ 30,000円
コンクリートの壁が有機物化して何か見知らぬものに力ずくで生成され、誘い込まれるような、おののきを感じさせるような作品になっている。

平野遼「磯にて(仮)」
1925-1992、水彩・ペンほか、紙/25.7×21.0㎝ 51,000円
1943年に野砲通信兵となり、除隊後、北九州の小倉市の肖像画塾に学んだ。上京し東京駅や新宿で似顔絵を描くなど5年間、窮乏生活を送る。ルドンやジャコメッティの影響を受ける。初期は幻想画的な作品が評価された。57年北九州の若松市の画廊喫茶「ドガ」で小個展。食事代金の代わりに小品を置いていくなど、ドガの店主とは懇意になり店に多くの作品を残した。これはその中の一点で、ウミウシのようなものが青い目をした魚を襲っているといった風だ。

福沢一郎「月と子供」
1898ー1992、油彩、カンバス/F15号 360,000円
1924年(大正13年)に渡仏。ジョルジュ・デ・キリコやマックス・エルンストの影響を受け、シュルレアリズムを日本に持ち込み実作に挑んだ。39年に美術文化協会を設立し、戦前の前衛美術をリードした。代表作に「他人の恋」「牛」など。戦後の59年の作品で、三日月、提灯、踊る子供など日本の村祭りの夜を思わせる。青い三日月などの色彩の組み合わせが美しい。

二見利節「朝の化粧」
1911-1976、油彩、カンバス/F8号 72,000円
井上三綱に師事し、1933年(昭和8年)、22歳の若さで春陽会展で初入選した。39年、40年と2年連続、文展で特選。長谷川利行の親友でもあった。代表作に「T子」「横たわる女」など。応召し戦後は国画会で鳥海青児らと親交を持った。56年失火により大半の作品を焼失したが、これはその前の52年作で、比較的初期の作品。

船川未乾「三人の裸婦」
1886-1930、油彩、カンバス/F4号
京都市宇治の旧宮司の家に生まれる。大正11年咲子夫人とともに渡仏し、キュビスム的な作品を描いていたアンドレ・ロートに師事。ピカソ、ブラック、ビシェール、ブラマンクらと交友し特にブラックの影響を受けた。早世し結局、一回の回顧展も開かれず一冊の画集も出ていない。確認されている作品の数もごく少ない。=売約済み

古澤岩美「ざくろ」
1912-2000、油彩、カンバス/SM
戦前の1930年代、池袋モンパルナスの一員として小熊秀雄や寺田政明、麻生三郎らと交流。美術文化協会創立に参加しシュルレアリスム絵画を描いた。戦中は中国戦線で従軍し、敗戦・捕虜の生活を経て帰国。これはシュルレアリスムの小品。1949年作。=売約済み

宮本恒平「初夏」
1900-1965、油彩、カンバス/F5号 175,000円
1921(大正10年)~23年外遊後、30~36年にも米国、欧州に滞在した。カンバス裏に制作年(1932年)の年記とともに「巴里郊外」の記載があり、郊外の初夏に似合う瀟洒な赤屋根の白い家を題材としたもの。額は画家の上永井正が製作して贈ったものを使っている。

水上民平「写真館のある街並」
1898-1994、油彩、カンバス/F8号
長野県出身。子供の頃、裾花川の河原で中学生の河野通勢が油絵を描いているのを覗き見した。また通勢の家は写真館を営んでいた。中学生になった水上民平はその写真館のショウウインドウに掛けられた通勢とその父の絵を見ながら通学したというエピソードを、洲之内徹が著書「セザンヌの塗り残し」で紹介している。この絵の中央に白壁の写真館があるが、その懐かしい写真館を思い起こして描いたものかもしれない。洲之内の現代画廊では個展も開いた。国画会会員。=売約済み

森川昭「裸婦」
1927-1979、石膏着色/48×14×16㎝ 50,000円
昭和24年、東京芸大を2年で退学し自由美術協会に属して活躍。清新なロマティシズムにあふれた作家と評されたが、52歳で没して惜しまれた。木内岬から影響を受け、画家の古茂田守介、西田勝、小貫政之助らと親しく交友。台座裏に1975年作とある。右腕上腕部に補修跡。右腕肘下部が欠損。

森川昭「裸婦」
1927-1979、木彫レリーフ/15.0×9.5×3.5㎝
戦後の昭和24年、東京芸大を2年で退学し自由美術協会に属して活躍。清新で若々しく浪漫的な作風で知られた。同会の仲間の古茂田守介の自宅及びアトリエが火事になった際、勇躍火中に飛び込み、作品を外に放り出して救ったという逸話の持ち主。ちょっと野性味のある裸婦像。「女5態」というシリーズ作品にこの像のブロンズバージョンがある。平成5年に開催された藝林での「森川昭彫刻展」の図録など資料付き。=売約済み

森芳雄「テラスの女」
1908-1997、油彩、カンバス/F8号
山口薫や荒井龍男と共に自由美術協会会員。東京新宿紀伊国屋の正面に架けられていた「二人」が有名。現代画廊の洲之内徹がかつて常連客で、平成31年3月に閉店した浅草の喫茶店アンヂェラスにあったこの絵の汚れが気になり、ほかの2点も含めて洗いに行ったというエピソードがある。温かみのあるヒューマンな作風。昭和28年頃の作で、「二人」や戦前の「肘をつく女」に連なるもの。

山口薫「赤い屋根のある河岸風景」
1907-1968、油彩、カンバス/F20号
山口は昭和5年(1930年)に東京美術学校を卒業し、すぐに渡欧した。その頃の1930~1932年作。ビルの屋上の避雷針のようなものも、突堤の先の赤白の灯台のようなものも何やら妖しくて楽しい。船着場の白の洋行服姿の男はたぶん山口自身で、、対岸の街は現実の風景に山口の高揚した夢と怖れのイメージを重ね合わせたものかもしれない。東美鑑定証付き。=売約済み

吉井淳二「パリの街路」
1904-2004、油彩、ボード/F4号 490,000円
二科会所属。渡仏しドランらの影響を受け、「帽子を被る女」などの佳作を残した。渡仏時の1931年、27歳頃のもの。寒々しい曇天のパリの街角が素早く切り取られている。

吉田卓「裸婦」
1897-1929、油彩、39×26㎝
大正15年、二科会で二科賞。フォーブ、キュビズム、新古典主義と目まぐるしく画風を変化させた。渡仏を計画するも未達のまま32歳の若さで倒れた。大正モダン香る優れた水彩画も残した。⇐売約済み

料治熊太「路」
1899-1982、油彩、カンバス/23×15㎝
朝鳴の名で創作版画を発表。版画雑誌「白と黒」や「版芸術」を発行し谷中安則や平塚運一を育てた。竹久夢二のセノオ楽譜のコレクターでもあった。珍しい油彩画で夢二の世界を思わせる。=売約済み
陶芸(近代作家もの/近世もの)
<陶芸作品データ>
①高さ:8.5㎝、口径:14.3㎝、箱付き②高さ:7.8㎝、口径13.5㎝、箱付き③径6.5㎝、高さ3.5㎝④径10㎝、高さ9㎝、火舎の材は黒柿で、翡翠のつまみ。大徳寺管長小田雪窓花押。箱付き⑤径最大15㎝、高さ12.5㎝⑥径5.3㎝、高さ4.3㎝、紙箱付き⑦カップの径8㎝、高さ6㎝、受け皿径13㎝、濱田晋作識箱付き⑧胴径15㎝、高さ18㎝⑨濱田晋作識箱付き⑩胴径胴8.8㎝、高さ13.6㎝⑪胴径10.5㎝、高さ15.5㎝、把手に3箇所補修。箱付き⑫3辺各9.3㎝、高さ12㎝⑬胴径9.5㎝、高さ10.3㎝、江戸初期ごろの伝世品、箱付き⑭口径5.5㎝、高さ10.3㎝、野々村仁清の流れをくむ、箱付き⑮口径11.5㎝、高さ2.5㎝⑯口径5.4㎝、高さ5.6㎝、箱付き⑰口径14.8㎝、高さ6.8㎝、名品紹介の新聞記事、箱付き⑱口径15㎝、高さ6.8㎝⑲口径14.2㎝、高さ5.5㎝、箱付き⑳口径最小13、最大15㎝、箱付き㉑胴径20.4㎝、高さ18.6㎝㉒胴径8.3㎝、高さ18㎝
①河井寛次郎「鐵茶碗」7万5千円
②同「三色打薬茶碗」6万5千円
⑨同「海鼠(なまこ)釉扁壺」6万7千円
⑩同「鐵釉胴紐徳利」9千円
⑬「上野焼鐵釉斑文火入」(江戸初期)1万6千円
⑭「古清水焼色絵粟図長向付」(江戸時代)9万5千円
⑮「志野織部笹文小皿」(桃山時代)2万4千円
⑯「唐津酒呑(ぐい飲み)」2万5千円
⑰「雨漏粉引茶碗(李朝時代)」(新聞記事掲載品)37万円
⑱「本手瀬戸唐津茶碗(江戸時代)3万5千円
⑲「志野織部鹿文小鉢」(江戸初~桃山時代)16万円
⑳「古織部沓茶碗」(江戸時代中期)4万7千円
㉑「白磁染付草花文広口丸壺」(李朝時代)21万円
㉒「ベトナム古陶(?)染付草花文鶴首瓶」12万5千円
河井寛次郎「花文壷」(敏孝識)高さ26.8×径26.6㎝ 30万円
アンティーク(アールデコ/ヌーボーほか)
<アンティークデータ>
①高さ8.5㎝×径10.3㎝②高さ7.0㎝×径15.5㎝。エドモント・エトランは1909年にパリに店を構え、優れた工芸家たちを擁して自身のブランド名で販売。名を挙げ、アール・デコを推進したが、ユダヤ人であったために、第二次大戦中にドイツの収容所で死を迎えた③高さ5.0㎝×22.9㎝④シェード径15.2㎝、支柱高さ53㎝⑤シェード径16.0㎝、支柱高さ50㎝⑥高さ56㎝(シェード含む)、台座径21.5㎝
①ルネ・ラリック「小物入れ」(1931年)=アールデコ 3万8千円
②エドモント・エトラン「蓋物」=アールデコ 5万9千円
③同「ボール」=アールデコ 3万2千円
④「卓上ランプ」=アメリカ 3万円
⑤「卓上ランプ」=フランス 3万8千円

➀麻生三郎「果実」
1913ー2000、水彩、紙/31.5×24.3㎝ 230,000円⇒160,000円
松本竣介、靉光、寺田政明らとともに池袋モンパルナスの代表画家の一人。戦中に妻や子供の親密感のある絵を数多く残した。戦後は自由美術協会に加わり、戦争の惨禍の記憶を刻むように、黒や灰色におおわれた画面に震えるような筆致で、体温の熱や温かみを感じさせる人物などを描き続けた。大阪フォルム画廊シール。

②淺野勝美「海の宝石 陸の宝石」
1958-、銅板、紙/35.2×25.3㎝、限定30部 65,000円⇒45,000円
兵庫県西宮市生。アトリエ凹凸で銅版画を修得。1989年の「詩とメルヘン」イラストコンクールで最優秀作品賞を受賞。南天荘画廊などで個展。新潮社文庫版シェークスピア作品など、装丁画も数多く手掛けた。これは初期の銅版画作品。

③青山熊治「作品(静物)」
1886-1932、油彩、カンバス/F4号 150,000円⇒110,000円
明治43年白馬会展で白馬会賞をとるなど、描写力が高評価され将来を嘱望された。大正3年から11年まで渡欧。昭和7年46歳の若さで病没した。

④荒井龍男「とうもろこし」
1905-1955、油彩、カンバス/21.6×26.0㎝ 250,000円⇒150,000円
昭和9年から11年まで滞仏。12年自由美術協会会員。同会の山口薫にも特徴的なバックの日本的な朱色が美しい。後年渡米し活躍。

⑤今西中通「静物(室内)」
1908-1947、コンテ・パステル、紙/19.5×21.5㎝ 120,000円⇒80,000円
昭和10年、独立展でⅮ氏賞を受賞。フォービズムからキュビズムへと画風を過激に変遷させた。遺稿の「好んで入り込んだ道ではあったが~」は哀切あふれる。クラシックギターやポット、目覚まし時計、トルソーなど、当時の最新流行のものなどを集めてモダン派風に描いたもの。

⑥今西中通「雪景色」
1908-1947、油彩、紙/26.8×36.5㎝ 150,000円⇒120,000円
昭和5年に一九三〇年協会展入選。高知から上京して、カフェで働いていたフサを数多く描いた。そのフォーブ時代の雪景色で空の垂れこめた青や地上の雪の白が鮮烈。

⑦今西中通「裸婦」
1908-1947、ガッシュ、紙/26.5×19.2㎝ 360,000円⇒250,000円
画面右下に「35.6」の年記。1934~35年にかけてキュビズム研究として裸婦や静物をデッサンしており、その追求の一到達点と言えるもの。紙裏にも花を題材としたドローイングが描かれている。「今西中通展」(高知県立郷土文化会館 1972年)出品作。

⑧織田廣喜「街の人々」
1914-2012、油彩、カンバス/SM 60,000円⇒50,000円
若い頃に林忠彦が撮った織田と妻リラの貧しくも生命感にあふれた生活の写真が有名。60年に初渡仏し精力的にパリの街並みや人々を描いた。初期のものに特有のユニークな人物造型が魅力。