取扱い作家・作品名など

作家名カ~コ

小菅徳二「風景」

1897-1972、油彩、カンバス/71.5×48㎝    40,000円

1936年、山を描く画家集団として足立源一郎、丸山晩霞、吉田博らと日本山岳画協会を設立した。幻想性が強い植物と山の風景。

作家名サ~ソ

桜井陽司「画室」

1915-2000、油彩、カンバス/F4号    

東京都交通局に就職。戦後、職場美術協会を結成し活躍した。「東京駅」などの代表作を残した。自らの画室を描いたもの。⇐売約済み

島成園「団扇美人図」

1892-1970、彩色、絹本/27.0×24.0㎝ 270,000円

大阪府堺市に生まれ花柳界に親しんで育つ。〝悪魔派〟の北野恒富らに師事し弱冠20歳で文展に入選。京都の上村松園、東京の池田蕉園と共に「三都三園」と呼ばれた。大正デモクラシーを背景に、女性のその社会的なあり方をも含む本質に迫ろうとする姿勢が「無題」(大正7年)などの問題作を生み、賛否両論を巻き起こした。研ぎ澄まされた線描きと髪を束ねる群青色の布が美しい。

清宮質文「街はずれ」

1917-1991、ガラス絵/12.0×19.6㎝ 1,150,000円 

東京都生。東京美術学校油画科卒。父は版画家の清宮彬。戦後、詩的かつ心象風景的な木版画やガラス絵、水彩を意欲的に発表し「木版画の詩人」と呼ばれた。朱く染まった夕焼雲の空と沈む街並みや鉄橋、水面を背景に一人の少女が佇んでいる。制作数が非常に少ないガラス絵では比較的初期の1965年作。=売約済み

清宮質文「一隅」

1917-1991、水彩、紙/15.7×23㎝        

美術教師や商業デザイン会社勤務を経て版画家に。版画の詩人と言われた。ガラス絵、水彩も残している。⇐売約済み

 

 

佐々木精治郎「裸婦」

1885-1971、パステル、紙/99.7×73.5㎝、額付き 270,000円

岩手県生。1905年(明治38年)渡米し、ロサンゼルス美術学校を経て、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに学ぶ。帰国後、1927年に渡欧し、28年に日本美術大展覧会に、29年にパリ一回展に風景画や裸婦を出品した。33年に日動画廊でパステル画展。

佐藤清三郎「風景」

1911-1945、デッサン(墨、水彩)/12×17.5㎝    100,000円

新潟で地元銀行に勤めながら、路地や川岸、働く女たちの素描などを数多く残した。戦中、応召し33歳で病死。洲之内徹が取り上げた。遠くに家並みの灯が見える蒲原平野の田園風景。

佐分真「スペイントレドアルカンタラ橋」

1898ー1936、油彩、板/F3号   510,000円

昭和3年に渡仏、5年に渡欧し、ドランなどの影響を受ける。帝展特選を重ね美しい深みのあるマチエール、色彩で知られた。代表作は「貧しきキャフェの一隅」。11年に東京のアトリエで自殺。渡欧時にスペインの有名な城(アルカサル)と橋を描いたもの。

沢田哲郎「神話の人々」

1919-1886、油彩、SM        

戦中、盛岡中学の先輩の松本俊介、船越保武と三人展を盛岡で開いた。応召されシベリアで抑留。ニューヨークでたびたび個展。後年、サムホールサイズの作品を日記のように描き続けた。=売約済み

清水登之「風景」

1887-1945、油彩、板/F6号   

明治40年から大正8年まで渡米。9年再渡米、欧州に渡る。戦時中は従軍画家として上海や南方を巡った。最愛の息子が戦死し、落胆のうちに終戦間もなく没した。南イタリアのナポリとヴェスヴィオ火山を俯瞰して描いたもの。⇐売約済み

 

下郷羊雄「河岸風景」

1907-1981、油彩、板/20.5×25㎝    100,000円

昭和12年(1937年)、ナゴヤ・アヴァンギャルド・クラブを結成。シュルレアリスム絵画作品を描き、名古屋のモダニズムを主導した。その後前衛写真に転じた。

白瀧幾之助「花」

1873ー1960、油彩、板/21.3×27.0㎝ 220,000円

白馬会系の有力画家で、山本芳翠、黒田清輝に師事。東京美術学校卒業の年に24歳で白馬会展に出品した「稽古」で脚光を浴びた。1903年(明治36年)米国に渡り、英ロンドン、仏パリを巡り、11年帰国した。夜のケシのような妖しい絵で、浪漫主義が色濃い。東京美術倶楽部鑑定付き。

白根光夫「屋上の風物」

1926-、油彩、カンバス/F12号    35,000円

カンバス裏に1963年作とあり、画家30歳代後半の若い頃の作品。「屋上の風物」という題名から、当時盛んだったデパートの屋上遊園地を描いたものと思われる。

伝新海竹蔵「女性の顔」

1897-1968、テラコッタ、高さ11.5×幅8.5×奥行7.0㎝ 32,000円 

山形市生。上京して「ゆあみ」などで知られる叔父の新海竹太郎の下で修業。文展で「母子」が初入選。院展を中心に「坐女」などの多くの佳品を残した。優雅な女性の顔。上部に壁掛け用金具埋め込み。

鈴木信太郎「人形」

1895-1989、油彩、カンバス/0号 360,000円

明治28年東京生まれ。白馬会溜池洋画研究所に学ぶ。大正15年に二科会展で樗牛賞。戦後、野間仁根らと一陽会を結成。生粋のカラリストで、アンチームな(親密感のある)風景画や花の絵を数多く残した。人形ながら頬は赤みを帯び唇は赤く、生きているような愛すべき小品。

清野克己「座る女」

1916-1995、油彩、カンバス/F8号       

山形県上山市出身。近代洋画研究所に入り藤田嗣治、野間仁根に師事。1938年、自由美術第1回展に入選。戦後は村井正誠、山口薫、荒井龍男らのモダンアート協会に属し抽象絵画に転じた。代表作に「出を待つ女」など。矩形の暗い出入口から花飾りの座った女が漂い出るようなシュールな作品。=売約済み  

作家名タ~ト

高畠達四郎「海の見える丘」

1895-1976、油彩、板/P3号  120,000円

1921年(大正10年)から28年まで滞仏し、藤田嗣治らと交友した。しみじみとした生活の情感が漂う戦後の「暮色」などで有名だが、これは若い頃の滞欧作。

田中保「湖水へと続く道」

1886ー1941、水彩、紙/32.0×42.0㎝ 95,000円

埼玉県生。18歳で渡米し働きながら画塾で学ぶ。詩人で美術評論家のルイズ・カンと結婚しパリに渡りコール・ド・パリの画家たちと交遊。藤田嗣治らと並んでモンパルナスの主要作家の一人となった。ナチス占領下のパリで客死。田中らしいしっとりとした空気感の漂う印象派風の水彩画。紙裏にサイン。

田中保「水浴」

1886ー1941、油彩、ボード(イゾレル)/47.5×27.1㎝

田中らしく明るく繊細な筆遣いの裸婦像。=売約済み

ルイザ・チェイス「無題」

1951-2016、油彩、カンバス/仏P50号 300,000円

Louisa・Chase、1951年パナマ市生。米ペンシルベニア州ランカスターで育つ。シラキュース及びイエールの両大学に学ぶ。卒業の年75年にニューヨークで初個展。80年代米ニュー・イメージ・ペインターの一人。70年代後半に台頭したバスキアなどの新表現主義の影響も受けた。1990年作。来歴/ブルック・アレクサンダー(ニューヨーク)、サザビーズ。

 

伝戸張孤雁「母子像」

1882-1927、水彩、紙/18.0×13.3㎝ 

日本橋魚河岸生。苦学して明治34年(1901年)に渡米し、アート・ステューデンツ・リーグなどで学ぶ。荻原守衛、中原悌二郎、中村彜らと知り合う。愛すべき小品の女性などの彫刻、創作版画の両面で活躍。小説の挿絵も描いた。左上に「和木きい子」の鉛筆書き込み。裏面にもエプロン姿の女性像。=売約済み

ルドルフ・ハインリッヒ・ツィレ「男」

1858-1929、コンテ、紙/12.5×6.4㎝ 36,000円

 独ザクセン生。ベルリンの美術学校を経て、風刺雑誌「ジンプリチシムス」や「ユーゲント」にユーモアあふれる挿絵を数多く描く。勧誘されてクリムトらのウィーン分離派の会員になる。当時の民衆のあるがままの姿を彼らと同じ低い目線で時に温かく、時に辛辣に描き大衆的な人気も得た。画集(ドイツ語)付き。

寺内萬治郎「横たわる裸婦」

1890ー1964、オイルパステル、紙/26.9×45.7㎝ 280,000円 

大正14年、帝展で「裸婦」が特選。終始一貫して裸婦、女性像を描き続け、優れた対象把握力が高く評価された。横たわり両腕の輪に顔を埋めて眠り込んでいるような表情と姿を一塊のフォルムとして温かい眼差しで描いている。上下からモデルを支える灰白色と黒の背景色も効果的。

寺内萬治郎「裸婦」

1890ー1964、パステル、木炭、紙/46.0×33.7㎝ 

大正14年、帝展で「裸婦」が特選。終始一貫して裸婦、女性像を描き続け、優れた対象把握力が高く評価された。女性を左膝を抱えた量感のあるフォルムとしてとらえており、愁いを含んだ顔の表情や赤茶色の背景も印象的。東美鑑定付き。=売約済み

 

津高和一「熱気」

1911ー1995、油彩、板/14×18㎝ 485,000円

1950年代以降、具象から独自の詩情にあふれた抽象に転じた。西宮市生。16歳で詩を書き始め、戦前は「神戸詩人」に作品を発表。1960年のニューヨーク・グッゲンハイム賞美術展出品など内外で高評価を得た。小品ながら、珍しい抽象初期の1958年作。

椿貞雄「静物(桃)」

1896-1957、油彩、カンバス/21.3×45.0㎝  420,000円

上京し岸田劉生に師事。大正4年に岸田、木村荘八らと草土社を結成。白樺の武者小路実篤、長与善郎らとも交友した。劉生の絶対的な影響下にあった草土社風写実から、その死後は独自の温かみのある作風に転じた。桃の連作シリーズの一枚で、机上の中国風染付磁器と2個の桃を細密に描いたもの。静謐な緊張感が漂う。画面右上に「昭和十三年寫 十六年加筆 椿貞雄」とある。

鶴田新「Snow」

1978-、油彩、カンバス/F30号 31,000円

愛媛県松山市生まれ。住宅case17がAsia Design PRISEで金賞を受賞など、建築家(Arata-Architect Studio )としての活動の傍ら、抽象画の制作にも取り組んでいる。2021年1月23日作。雪降る情景に想を得た。

 

 

富樫寅平「子供」

1906-1951、油彩、カンバス/112.0×86.5㎝ 95,000円

新潟県出身。蒲原平野の画家である佐藤哲三らと「野人会」を結成し展覧会活動を行った。大正11年、一九三〇年協会展に入選。昭和3年上京し二科技塾に学ぶ。12年に「水浴」が独立賞。将来を期待されたが45歳で没した。文献「第5回独立展集」付き。額なし。

 

鳥海青児「東大正門図」

1902-1972、油彩、カンバスを板に貼付/31.0×37.0㎝ 180,000円

大正15年(1926年)24歳の時に上京し、横堀角次郎のあっせんで本郷森川町の東大正門前の下宿太平館に入る。その目の前の正門を描いたもの。横堀の子息の辰義氏の識(書面)があり「鳥海氏の作品と思うが~」とある。鳥海の大正15年作「芦屋風景」が「チューブから絞り出したものをそのままの白の使い方」と言われたが、この作品でも同様な白の扱い方がなされている。「灰っぽい茶と緑に独特な滋味をもった色調の人」(足立源一郎)との当時の評もこの作品に共通している。

 

鳥海青児「シベリア駅路の雪」

1902-1972、油彩、カンバス/19.0×25.5㎝  

1930年(昭和5年)の渡仏時にはシベリア鉄道経由で行き、その途中、雪に覆われた駅路を見て大小の絵を描いた。そのうちの小品。パリでは海老原喜之助、野口弥太郎、藤田嗣治らと交遊した。=売約済み

1 2 3 4 5 6