取扱い作家・作品名など

宮本恒平「裸婦」
1900-1965、油彩、カンバス/F100号 175,000円
士族の長男に生まれ家督を相続。経済的に豊かな環境に恵まれ、大正9年(1920年)、東京美術学校西洋画科を卒業し外遊。帰国後、帝展に連続出品。米国や欧州に滞在した。目白文化村の住人となり下落合の風景を好んで描く。アンチームな(親しくくつろいでいるような)独特の作風で知られた。額なし。

宮本恒平「初夏」
1900-1965、油彩、カンバス/F5号 175,000円
1921(大正10年)~23年外遊後、30~36年にも米国、欧州に滞在した。カンバス裏に制作年(1932年)の年記とともに「巴里郊外」の記載があり、郊外の初夏に似合う瀟洒な赤屋根の白い家を題材としたもの。額は画家の上永井正が製作して贈ったものを使っている。

水上民平「写真館のある街並」
1898-1994、油彩、カンバス/F8号
長野県出身。子供の頃、裾花川の河原で中学生の河野通勢が油絵を描いているのを覗き見した。また通勢の家は写真館を営んでいた。中学生になった水上民平はその写真館のショウウインドウに掛けられた通勢とその父の絵を見ながら通学したというエピソードを、洲之内徹が著書「セザンヌの塗り残し」で紹介している。この絵の中央に白壁の写真館があるが、その懐かしい写真館を思い起こして描いたものかもしれない。洲之内の現代画廊では個展も開いた。国画会会員。=売約済み

森川昭「裸婦」
1927-1979、石膏着色/48×14×16㎝ 50,000円
昭和24年、東京芸大を2年で退学し自由美術協会に属して活躍。清新なロマティシズムにあふれた作家と評されたが、52歳で没して惜しまれた。木内岬から影響を受け、画家の古茂田守介、西田勝、小貫政之助らと親しく交友。台座裏に1975年作とある。右腕上腕部に補修跡。右腕肘下部が欠損。

森川昭「裸婦」
1927-1979、木彫レリーフ/15.0×9.5×3.5㎝
戦後の昭和24年、東京芸大を2年で退学し自由美術協会に属して活躍。清新で若々しく浪漫的な作風で知られた。同会の仲間の古茂田守介の自宅及びアトリエが火事になった際、勇躍火中に飛び込み、作品を外に放り出して救ったという逸話の持ち主。ちょっと野性味のある裸婦像。「女5態」というシリーズ作品にこの像のブロンズバージョンがある。平成5年に開催された藝林での「森川昭彫刻展」の図録など資料付き。=売約済み

森芳雄「テラスの女」
1908-1997、油彩、カンバス/F8号
山口薫や荒井龍男と共に自由美術協会会員。東京新宿紀伊国屋の正面に架けられていた「二人」が有名。現代画廊の洲之内徹がかつて常連客で、平成31年3月に閉店した浅草の喫茶店アンヂェラスにあったこの絵の汚れが気になり、ほかの2点も含めて洗いに行ったというエピソードがある。温かみのあるヒューマンな作風。昭和28年頃の作で、「二人」や戦前の「肘をつく女」に連なるもの。

山路商「窓と顔」
1903-1944、油彩、カンバス/サムホール
中国東北部で少年時代を送り、大連で洋画研究所に通う。広島市に移り20歳の時に「ダダイスト山路商宣言」を発刊。靉光らと交友し広島の前衛芸術を主導した一人。中央の福沢一郎らに続いて16年12月に特高に検挙され、翌年8月に釈放されたが、体調を崩し19年に死去。「T型定規のある静物」「犬とカタツムリ」など。多くの作品が原爆により焼失し、広島県立美術館の20点など残るものは少ない。少女の顔と窓。昭和13年作で第2回郷土物故作家展(広島県美、1972年)出品作。同展図録の一部コピー及び元額付き。=売約済み

横手貞美「パリ風景」
1899-1931、油彩、カンバス・格子パネルによる裏打ち/仏F20号
宮崎県生。昭和2年(1927年)に佐伯祐三を追うようにして渡仏。翌年2月に佐伯、渡仏仲間の荻須高徳、山口長男、大橋了介と共にモランに写生旅行。同年8月佐伯が死去。横手は20号のカンバスを担ぎ屋外制作に没頭したが、5年秋に倒れ翌春にサナトリウムで病没した。パリでの活動は3年足らずだった。「パリを立つとき僕はひそかにこの山での死を覚悟して上って来た。だが僕は生きたい。生きてもう少しは仕事がしたいよ」と画友への葉書に書いていた。曇って陰った崖下への階段通路と立ち並ぶレストランなどの建物の風景。日動画廊シール。=売約済み

山田正「巴里セーヌ河」
1899-1945、油彩、カンバス/F4号 30,000円
札幌市生。昭和2年春陽会に初入選し上京。5年(1930年)に渡仏し3年間学んだ。「白い壁の家」などの佳作を描きサロン・ドートンヌなどにも出品。帰国後は国画会に入り戦中は陸軍従軍画家となり「張家口場外」などを残す。敗戦の6カ月前の20年2月に早世した。北海道立近代美術館に油彩作品25点ほどが収蔵。これはパリのセーヌ川の穏やかな光景を切り取った一枚。舟がもやい、岸辺の路上にはのんびりと新聞でも読んでいるらしい男の姿。1932年作。

山下新太郎「パリの小劇場」
1881-1966、油彩、ボード/F2号
1905年(明治38年)に渡仏。エコール・デ・ボザールに入学しルノワールに傾倒した。10年に帰国。滞欧中には「窓際」「読書」などの甘美な佳作を描いた。渡仏時作で、同様の小劇場のモチーフでサイズの大きな作品も残している。ボード裏に「s.yamas」のサインあり。=売約済み

山口薫「風景(静物と海)」
1907-1968、油彩、カンバス/25.9×36.5㎝ 530,000円
昭和5年から8年まで渡欧。12年村井正誠、長谷川三郎、瑛九らと自由美術家協会を創立。戦後25年モダンアート協会創立会員。画風は抽象と具象とのはざまを揺れ動いたといわれる。

山口薫「赤い屋根のある河岸風景」
1907-1968、油彩、カンバス/F20号
山口は昭和5年(1930年)に東京美術学校を卒業し、すぐに渡欧した。その頃の1930~1932年作。ビルの屋上の避雷針のようなものも、突堤の先の赤白の灯台のようなものも何やら妖しくて楽しい。船着場の白の洋行服姿の男はたぶん山口自身で、、対岸の街は現実の風景に山口の高揚した夢と怖れのイメージを重ね合わせたものかもしれない。東美鑑定証付き。=売約済み

山崎省三「ノートルダム・ド・パリ」
1896-1945、油彩、板/F4号
村山槐多、今関啓司と共に日本美術院研究生の三銃士と称された。昭和4年に渡欧。昭和20年戦病死。「木綿の肌触りのような画風」と評された。1930年の滞仏時に描いたもの。=売約済み

山本正「風景」
1915-1979、油彩、カンバスボード/33×23㎝ 130,000円
京華中学校卒。独立展で昭和7年独立賞、23年岡田賞。31~32年渡仏。一時抽象に転じたが、具象に戻った。戦中の18年から21年までジャワに滞在し、現地人を数多く描いた。

吉井淳二「パリの街路」
1904-2004、油彩、ボード/F4号 370,000円
二科会所属。渡仏しドランらの影響を受け、「帽子を被る女」などの佳作を残した。渡仏時の1931年、27歳頃のもの。寒々しい曇天のパリの街角が素早く切り取られている。

吉田卓「裸婦」
1897-1929、油彩、39×26㎝
大正15年、二科会で二科賞。フォーブ、キュビズム、新古典主義と目まぐるしく画風を変化させた。渡仏を計画するも未達のまま32歳の若さで倒れた。大正モダン香る優れた水彩画も残した。⇐売約済み

料治熊太「路」
1899-1982、油彩、カンバス/23×15㎝
朝鳴の名で創作版画を発表。版画雑誌「白と黒」や「版芸術」を発行し谷中安則や平塚運一を育てた。竹久夢二のセノオ楽譜のコレクターでもあった。珍しい油彩画で夢二の世界を思わせる。=売約済み

作者不詳「籐椅子と裸婦」
油彩、カンバスボード/F3号 47,000円
裸婦が身を預けたクッション様のものの赤と右側のついたて様のものの青の対比が美しい。フォーブ風のタッチで作者も時代も分からないが、達者で雰囲気のある作品となっている。

作者不詳「梅花湯呑(仮)」
油彩、板/21.7×26.9㎝(F3号) 45,000円
棚板なのか机なのか、その上に置かれた梅花模様の一個の小さな青い湯呑茶碗を静かに描いている。右下に「Seibi.M」のサイン。板裏にサインと「1944.5.15」の制作年記があり、戦中作と分かる。作者はどのような想いでこの小さな湯呑茶碗と向き合っていたのだろうか。

作者不詳「祝祭日の夜(仮)」
油彩、カンバス/仏F4号 117,000円
右上に花火が上がっているから何かの記念祭かあるいは夜会なのか。花束を持ち着飾った若い女性の表情から、その帰路の光景という感じがする。19世紀末からのベル・エポックの勃興市民社会辺りを題材とした愛らしい作品。時代を下ってから当時をしのぶ風俗画として描かれたものかもしれない。右下に作家(不詳)のサイン。
陶芸(近代作家もの/近世もの)
<陶芸作品データ>
①高さ:8.5㎝、口径:14.3㎝、箱付き②高さ:7.8㎝、口径13.5㎝、箱付き③径6.5㎝、高さ3.5㎝④径10㎝、高さ9㎝、火舎の材は黒柿で、翡翠のつまみ。大徳寺管長小田雪窓花押。箱付き⑤径最大15㎝、高さ12.5㎝⑥径5.3㎝、高さ4.3㎝、紙箱付き⑦カップの径8㎝、高さ6㎝、受け皿径13㎝、濱田晋作識箱付き⑧胴径15㎝、高さ18㎝⑨濱田晋作識箱付き⑩胴径胴8.8㎝、高さ13.6㎝⑪胴径10.5㎝、高さ15.5㎝、把手に3箇所補修。箱付き⑫3辺各9.3㎝、高さ12㎝⑬胴径9.5㎝、高さ10.3㎝、江戸初期ごろの伝世品、箱付き⑭口径5.5㎝、高さ10.3㎝、野々村仁清の流れをくむ、箱付き⑮口径11.5㎝、高さ2.5㎝⑯口径5.4㎝、高さ5.6㎝、箱付き⑰口径14.8㎝、高さ6.8㎝、名品紹介の新聞記事、箱付き⑱口径15㎝、高さ6.8㎝⑲口径14.2㎝、高さ5.5㎝、箱付き⑳口径最小13、最大15㎝、箱付き㉑胴径20.4㎝、高さ18.6㎝㉒胴径8.3㎝、高さ18㎝
①河井寛次郎「鐵茶碗」7万5千円
②同「三色打薬茶碗」6万5千円
⑨同「海鼠(なまこ)釉扁壺」6万7千円
⑩同「鐵釉胴紐徳利」9千円
⑬「上野焼鐵釉斑文火入」(江戸初期)1万6千円
⑭「古清水焼色絵粟図長向付」(江戸時代)9万5千円
⑮「志野織部笹文小皿」(桃山時代)2万4千円
⑯「唐津酒呑(ぐい飲み)」2万5千円
⑰「雨漏粉引茶碗(李朝時代)」(新聞記事掲載品)37万円
⑱「本手瀬戸唐津茶碗(江戸時代)3万5千円
⑲「志野織部鹿文小鉢」(江戸初~桃山時代)16万円
⑳「古織部沓茶碗」(江戸時代中期)4万7千円
㉑「白磁染付草花文広口丸壺」(李朝時代)21万円
㉒「ベトナム古陶(?)染付草花文鶴首瓶」12万5千円
河井寛次郎「花文壷」(敏孝識)高さ26.8×径26.6㎝ 30万円
アンティーク(アールデコ/ヌーボーほか)
<アンティークデータ>
①高さ8.5㎝×径10.3㎝②高さ7.0㎝×径15.5㎝。エドモント・エトランは1909年にパリに店を構え、優れた工芸家たちを擁して自身のブランド名で販売。名を挙げ、アール・デコを推進したが、ユダヤ人であったために、第二次大戦中にドイツの収容所で死を迎えた③高さ5.0㎝×22.9㎝④シェード径15.2㎝、支柱高さ53㎝⑤シェード径16.0㎝、支柱高さ50㎝⑥高さ56㎝(シェード含む)、台座径21.5㎝
①ルネ・ラリック「小物入れ」(1931年)=アールデコ 3万8千円
②エドモント・エトラン「蓋物」=アールデコ 5万9千円
③同「ボール」=アールデコ 3万2千円
④「卓上ランプ」=アメリカ 3万円
⑤「卓上ランプ」=フランス 3万8千円