取扱い作家・作品名など

作家名ナ~ノ

中筋幹彦「静物」

1925-1956、油彩、ボード/27×17.5㎝    240,000円

大阪生。東大中退。森芳雄と親交し、自由美術協会会員となったが、翌年30歳の若さで死んだ。遺作展が銀座サエグサ画廊で遺作10余点により開かれた。確信的な強い筆勢で、静物画でありながらシュールで表現主義的な雰囲気が漂う。

中山正實「少女と鳥」

1898-1979、油彩、板/F3号 

1924年(大正13年)に渡欧し、サロン・ドートンヌに入選。イタリアに赴き、壁画を研究した。27年に帰国。32年からは壁画制作に専念した。中世南欧風の樹下の少女の愛すべき小品で、裏書きに「1927年 ムードンのアトリエにて作」とあり、反転したものが、翌28年の大作「新秋」のモチーフの一つにもなっている。=売約済み

 

 

野見山暁治「シャルルロワ(ベルギー)の街」

1920-、油彩、カンバス/F8号 

福岡県穂波村の炭鉱経営者の子として生まれた。1952年渡仏し、58年安井賞受賞。64年に帰国し、抽象的な心象画の作風に転じていった。「四百字のデッサン」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。無言館設立にも奔走。54年ベルギー旅行中、炭鉱町シャルルロワのぼた山風景に心を動かされスケッチし、油彩数点を描いた。これはその中の一点。石炭を運び出していたと思われる崖下の線路と街並みを、上下に深みのある視点と独特の色感でとらえている。1955年作。=売約済み

野口謙蔵「秋」

1901-1944、油彩、板/23.8×33.0㎝(F4号) 

滋賀県生。大正13年(1924年)に東京美術学校を卒業し、故郷の蒲生に帰った。そのまま、ひたすら近江の田園の四季や農村風景を描き続けて、日本的な土着のフォービズムと評された。昭和19年、43歳の若さで死去。野分の頃の暗く雲が垂れ込める草原をみずみずしい色彩で切り取っている。額は東京の上野桜木町の著名な額屋、浅尾拂雲堂の昔のものかもしれない。=売約済み

鍋井克之「静物」

1888-1969、油彩、カンバス/F12号    

大正13年に小出楢重、黒田重太郎らと大阪に信濃橋洋画研究所を設立。渡欧作も残した。ランプ、人形、果物、扇風機などの昭和の静物のアイテムを網羅し色彩も濃厚。昭和27年作。=売約済み

 

難波田史男「少女」

1941-1974、水彩・インク、紙/13.5×19㎝    250,000円

難波田龍起の次男。早稲田大学美術科卒。初期のイラスト的な作風から「内なる物語」を表現する方向へと転じた。少女の不可解で不思議な内面を描いたかのような作品。

西田勝「岬」

1918-1974、油彩、カンバス/F3号    90,000円

昭和14年より新制作展に出展。新作家賞、岡田賞をとり、古茂田守介と並んで新制作協会の星と嘱望された。守介のデスマスクを描いた。海と空の青が美しい。

 

作家名ハ~ホ

林倭衛「女の子」

1895-1945、パステル、紙/34.0×26.9㎝ 120,000円

林倭衛は大杉栄らの無政府主義者と交流し、大杉がモデルの「出獄の日のO氏」で広く知られる。ここではなく遠い所に想いをやっているような少女のスケッチ。出所は新宿の文壇バー「風紋」の元マダムで今年2月に亡くなった倭衛の娘の聖子さんとの話がある。「林倭衛展」画集(2015年・東御市梅野記念絵画館)所載。同画集付き。

林倭衛「プロバンス小村」

1895-1945、油彩、カンバス/F15号 

 1921(大正10年)~26年、1928~29年の2回にわたり渡仏。南仏プロバンスの明るい陽光が惜しげもなく降り注ぐ緑濃い小さな村の情景を描いたもの。塀沿いのかげった道に瑠璃色の服を着た女性がたたずむ。東御市梅野記念絵画館「林倭衛画集」(2015年)所載。=売約済み

 

原勝郎「モンマルトル」

1889-1966、油彩、カンバス/F12号 720,000円

千葉県生。大正9年(1920年)に渡米し、11年仏パリに移る。パリの何気ない街景などを茶かっ色系ほかの渋い色調で情感豊かに数多く描き、高く評価された。サロン・ドートンヌなどに出品し画廊で複数回の個展も開いた。戦争ぼっ発により昭和14年帰国。冬のパリの曇天の街路には冬コート姿の女性が通りかかり、その先にはサクレ・クール寺院の白い尖塔が見える。昭和13年(1938年)作。

長谷川昇「鼓(舞妓)」

1886-1973、油彩、カンバス/F12号 180,000円

福島県生、北海道小樽で育つ。東京美術学校在学中に院展に初入選。卒業後、明治44年(1911年)渡仏。ヴァン・ドンゲンらと交友し 、ルノワールに傾倒した。パリの画廊で個展。ルノワールの影響が色濃く、色彩が鮮やかで美しい戦前の比較的初期作品と推定される。

林倭衛「クヰイの橋」

1895-1945、油彩、カンバス/P15号

 仏パリの近くのクヰイの橋は数点描いており、その中の一点。鈍い色の空の下、橋と手前に蛇行した流れ、その向こうの2軒の建物と木立を情感を込めて描いている。2回目の渡仏の1928年作。カンバス裏にサインと題名。小崎軍司著「林倭衛」の口絵に所載。=売約済み

パスキン「三人の女(仮)」

1885ー1930、ペン、紙/14.8×31.8㎝ 98,000円

ブルガリア生まれ。ミュンヘンの「ジンプル」誌での挿絵素描を経て、1905年のクリスマス・イブにパリに到着。モディリアニ、キスリング、フジタ、スーチンらと共にエコール・ド・パリを代表する一人として人気を得た。女たちのポーズを素早くスケッチしたもの。スタンプサイン、「Lucy Krohg」サイン、証明書付き。

 

ジュール・パスキン「座る少女と立つ少女」

1885ー1930、油彩、ボード/28.0×21.5㎝ 980,000円

繊細な真珠色などの淡い色彩で数多くの娼婦などの女性像を描き残した。優れた素描家でもあり、若い頃には風刺新聞「ジンプリチシムス」に寄稿した。1930年、個展の前日にアトリエで自殺。1921作で比較的初期のもの。

原精一「裸婦」

1908-1986、油彩、カンバス/SM    240,000円

神奈川県藤沢市生。萬鉄五郎に師事し、中学の先輩だった鳥海青児デッサン力には定評があり裸婦を数多く描いた。これは裸婦の中でも褐色や黒の暗色が力強い初期の作品。

原勝郎「滞欧風景」

 1889-1966、油彩、カンバス/F12号 

 やや朱がかった空で朝焼けなのか。明るみの中に浮き上がってくる風景。手前の枝切りをした樹々と緑のうねる地面、自動車、左手の家々と白い坂道、教会らしき建物が厚みをもって積み重なり、生動感が迫ってくる。梅野コレクション(2003年蒐)の作品。=売約済み

 

原精一「北上川風景」

1908-1986、油彩、カンバス/F15号 78,000円

朝焼けだろうか、やや桃色に染まる空の下、峻厳とした量感ある山が迫る北上川の岸に身を寄せているような家並みと、鈍い色の川の流れを詩情を込めて描いている。山塊や家々には雪が残る。

林重義「パリ郊外」

1896-1944、油彩、カンバス/F4号 390,000円

神戸市生。一九三〇年協会を経て独立美術協会創立会員。昭和3年(1928年)~5年渡仏し、街の夜のピエロや花売りなども描いた。帰国後は舞妓など日本的な題材の「新写実主義」へと転じた。19年、43歳で没した。パリ郊外の土と緑の風景を描いたもの。嵐を呼ぶような暗く激しい雲の流れの下を、奥の山並みへとひた走る馬車、道に沿う葉を落とした樹々、民家の屋根、電信柱。画面右下にサイン。

長谷川利行「大サーカス」

1891-1940、油彩、板/24.2×33.3㎝(F4号)  

京都山科生。大正15年(1926年)上京し、「岸田國士肖像」「大和屋かほる」「新宿風景」などの秀作を残す。放浪の果てに行き倒れ、昭和15年に東京養育院で病没。来日したドイツの「ハーゲンベック大サーカス団」を描いた中の一枚。雪か雨の日なのか、手前左のテントの入り口の塔や人の影がぬかるみに映っているように見える。東美鑑定証付き。=売約済み 

 

長谷川利行「海」

1891-1940、油彩、厚紙/12.8×17.5㎝

伊豆大島を描いたもの。海と空の澄んだブルーと白、島のピンクの線が美しい。⇐売約済み

 

長谷川春子「牧場の家族」

1897-1967、油彩、カンバス/21.4×27.1㎝  

東京の女子名門校、雙葉高等女学校卒。梅原龍三郎に油絵を学んだ。渡仏は1929(昭和4年)~31年で、カンバス裏に1931年作の年記がある。丘の上で憩う母子と父親、向こうに牛。聖母子像にも見える温かな家族愛の一枚。=売約済み

林倭衛「果物図」

1895-1945、油彩、カンバス/F3号  

林倭衛は2回にわたって渡欧しているが、昭和初年(1926年)作とあり、最初の渡欧時の作品と推定される。果物の朱色や緑の色が鮮やかで印象的。=売約済み

 

平野遼「壁の変容(仮)」

水彩、紙/39.4×32.0㎝ 30,000円

コンクリートの壁が有機物化して何か見知らぬものに力ずくで生成され、誘い込まれるような、おののきを感じさせるような作品になっている。

平野遼「機械の変身(仮)」

水彩、紙/39.4××32.0㎝ 32,000円

所々が錆びた緑色の何かの大型機械が、命(?)を吹き込まれてロボットに変身していくような楽しい作品。

平野遼「磯にて(仮)」

1925-1992、水彩・ペンほか、紙/25.7×21.0㎝ 51,000円

1943年に野砲通信兵となり、除隊後、北九州の小倉市の肖像画塾に学んだ。上京し東京駅や新宿で似顔絵を描くなど5年間、窮乏生活を送る。ルドンやジャコメッティの影響を受ける。初期は幻想画的な作品が評価された。57年北九州の若松市の画廊喫茶「ドガ」で小個展。食事代金の代わりに小品を置いていくなど、ドガの店主とは懇意になり店に多くの作品を残した。これはその中の一点で、ウミウシのようなものが青い目をした魚を襲っているといった風だ。

福沢一郎「月と子供」

1898ー1992、油彩、カンバス/F15号 360,000円

1924年(大正13年)に渡仏。ジョルジュ・デ・キリコやマックス・エルンストの影響を受け、シュルレアリズムを日本に持ち込み実作に挑んだ。39年に美術文化協会を設立し、戦前の前衛美術をリードした。代表作に「他人の恋」「牛」など。戦後の59年の作品で、三日月、提灯、踊る子供など日本の村祭りの夜を思わせる。青い三日月などの色彩の組み合わせが美しい。

二見利節「朝の化粧」

1911-1976、油彩、カンバス/F8号  72,000円

井上三綱に師事し、1933年(昭和8年)、22歳の若さで春陽会展で初入選した。39年、40年と2年連続、文展で特選。長谷川利行の親友でもあった。代表作に「T子」「横たわる女」など。応召し戦後は国画会で鳥海青児らと親交を持った。56年失火により大半の作品を焼失したが、これはその前の52年作で、比較的初期の作品。

船川未乾「三人の裸婦」

1886-1930、油彩、カンバス/F4号    

京都市宇治の旧宮司の家に生まれる。大正11年咲子夫人とともに渡仏し、キュビスム的な作品を描いていたアンドレ・ロートに師事。ピカソ、ブラック、ビシェール、ブラマンクらと交友し特にブラックの影響を受けた。早世し結局、一回の回顧展も開かれず一冊の画集も出ていない。確認されている作品の数もごく少ない。=売約済み

普門暁「花魁(おいらん)」

1896-1972、油彩、板/F4号    170,000円   

大正9年9月に二科展落選を不満として、木下秀一郎、渋谷修、亡命ロシア人画家パリモフ、ブルリュークらと未来派美術協会を設立。ところが、翌年8月に「花の小曲」を二科展に出品。東京の会員の不平を買い、11年元旦付けで離れた。動性の残像を描くような、いわゆる未来派の技法の作品を先んじて残した。禿(子供)の袖口や背景の描き方にその特徴が見える。板裏に「一九二四年二月作」とある。

古澤岩美「ざくろ」

1912-2000、油彩、カンバス/SM        

戦前の1930年代、池袋モンパルナスの一員として小熊秀雄や寺田政明、麻生三郎らと交流。美術文化協会創立に参加しシュルレアリスム絵画を描いた。戦中は中国戦線で従軍し、敗戦・捕虜の生活を経て帰国。これはシュルレアリスムの小品。1949年作。=売約済み

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